ロレックス ポール・ニューマンが愛したコスモグラフ デイトナ Ref.6239~史上最も高額なロレックス 第1位:約20億円
高額で落札されたロレックスの時計の第1位は、ここで繰り返すまでもないほどに有名なポール・ニューマン氏が愛用し、デイトナ神話の中心的存在となったRef.6239コスモグラフ・デイトナです。
この伝説的な時計がいかにして国際舞台にお披露目されたのか。
そこには世界的な映画俳優として不動の地位を築いたポール・ニューマン氏の、知られざる魅力にあふれていました。
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ロレックス ポール・ニューマンの栄光に満ちた足跡
ポール・ニューマン。
1925年1月26日、オハイオ州クリーブランド生まれ。
歴代のハリウッドスターの中でも、彼ほど長きにわたって活躍し、多くの栄冠を手にした役者はそう多くはないでしょう。
3度のアカデミー賞と6度のゴールデングローブ賞受賞をはじめ、役者以外にもレーサーとしてもル・マンで2位、デイトナ24時間レースで5位、自ら立ち上げた食品会社「ニューマンズ・オウン」でも国際的知名度を獲得したほか、政治活動家としても数々の功績を残しました。
ロレックス ポール・ニューマン 運命の出会い
彼はブロードウェイの初舞台であった1953年の「ピクニック」という作品で知り合った女優、ジョアン・ウッドワードと1958年、映画「長く熱い夜」での再共演をきっかけに結婚。
「うちでステーキが待っているのに、わざわざ外でハンバーガーを食べる必要はない」との言葉とおり、大変な愛妻家としても知られる彼は、3人の娘にも恵まれて幸せな家庭を築きました。
その時計は1972年に、そんな愛妻からプレゼントされたものでした。
以来彼は、アイボリーベースで黒地に赤いセコンドトラックを持つエキゾチックダイヤルを備えるロレックス コスモグラフ・デイトナ、Ref.6239を肌身離さず愛用していたといわれています。
そしてその裏蓋には、「DRIVE CAREFULLY ME」という、愛妻からのメッセージが刻まれています。
「この時計を彼は10年以上に渡って肌身離さず大切に愛用していた」との彼の長女、ネル・ニューマンさんの証言どおり、ル・マン出走時に撮影されたものを含めて多数の着用写真が残されており、この時計が彼にとってかけがえのないものであったことがうかがいしれます。
ロレックス ポール・ニューマン ジェームズ・コックス氏の元へ
1984年にネルさんのボーイフレンドであったジェームズ・コック氏が、コネチカット州ニューマンズウエストのニューマン家に訪れた際に、彼が時計を持っていないこと気付いたポール氏は、その大切なロレックスをプレゼントしました。
大変光栄に感じたジェームズ氏は、大切にその時計を愛用し続け、ネルさんとの破局後も、ネルさんをはじめニューマン家の人々との親密な関係を継続していたといいます。
それから10年も経過しないうちに盛り上がりを見せ始めたアンティークウォッチブームの中で、その時計がいかに特別なものであるかについて、特に時計に関心のなかったジェームズ氏も知ることになります。
ロレックス ポール・ニューマン ヴィンテージロレックスブームの中で
1990年代、ジェームズ氏がとあるイベントに参加したときのこと。ある日本人男性が、ジェームズ氏の手首を指さして「ポール・ニューマン」と言ったのを聞いて、なぜ見知らぬ人が誰からもらった時計かを言い当てたのか、大変に驚いたといいます。
そしてジェームズ氏は改めてその時計が何なのかについて調べてみましたが、その答えは意外なほどに簡単に見つかり、その時計の重要性について知れば知るほどに所有することへのプレッシャーが大きくなることを感じた彼は、恐ろしくなって時計をセーフティーボックスにしまい込んだといいます。
驚がくの高騰を続けるヴィンテージロレックスの象徴的存在、コスモグラフ・デイトナのバリエーションとして存在する通称「ポールニューマンダイヤル」は、他ならぬポール・ニューマン氏が日常的に愛用していたことでそう呼ばれるようになったものです。
これらが販売されていた当時、通常のブラックやシルバーのダイヤルと比較して人気が低く、生産本数が伸びることはなかったといわれておりました。
その現存する個体の全てが1990年代の時点で既に高い希少性を認められていましたが、これがポール氏自身が愛用した個体に付くべき正当な付加価値とはどのようなものなのか、想像がつくはずもなかったのです。
ロレックス ポール・ニューマン氏への思いを込めて
やがてジェームズ氏は、ポールが自分に与えてくれた美しい思い出を振り返り、今度は自分の番だと思い立ちました。
ジェームズ氏はネルさんに「この時計を売却し、恵まれない人々の力にしてもらおう」との提案をし、ネルさんの全面的支持を得ましたが、その時計を売却するにはどうすれば良いのかについて、全く想像もつきませんでした。
ロレックス ポール・ニューマン オーレル・バックス氏との出会い
2015年、ジェームズ氏とネルさんは共通の友人を通じて、時計界の最高のオークショニアであるオーレル・バックス氏に紹介してもらうことになります。
ジェームズ氏がオーレル氏に初めて会いに行ったとき、ポール氏から譲り受けた時計を付けていました。
それに気付いたオーレル氏は、持っていたフォークを思わず落としてしまうほどに驚いていたといいます。
ジェームズ氏が時計を外してオーレル氏に時計を見せると、ルーペを取り出して約20分間に渡って時計に見入り、静かに「すばらしい焼け具合のオリジナル文字盤ですね」とコメントしました。
オーレル氏の人柄に直接触れて、信頼関係を築くのに長い時間は必要ありませんでした。
オーレル氏が率いるフィリップスのチームは、これが大変な発見であることをよく理解していたはずですが、全く強引さはなく、ジェームズ氏はこれがちょうど良いタイミングだと感じたといいます。
ロレックス ポール・ニューマン 歴史的な夜
そして2017年10月26日。フィリップスのニューヨークオークションにおいて、驚くべき事件が現実のものとなります。
“ IT IS HISTORY NOW, FIFTEEN MILLION FIVE HUNDRED THOUSAND ! ”
これまで時計の最高落札額を何度となく塗り替えてきたオーレル・バックス氏をも興奮させた瞬間でした。
100万ドルから始まった入札はいきなり1000万ドルに跳ね上がり、約12分後には歴代全ての腕時計落札額を上回る1550万ドルにまで上り詰めたのです。
バイヤーズプレミアムを含めて17,752,500USドル。
これが世界で最も高い価格が付いた時計ですが、これはあくまで偉大なる役者が遺してくれたたくさんのものの中の、ほんのひとかけらにすぎないのです。
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