多くの賞を受け洋画界に影響を与えた、大久保作次郎
大久保 作次郎は、1890年11月24日に大阪市に生まれた洋画家です。旧姓は氏原でしたが、叔父の家を継いで、大久保姓となりました。
生前は多くの功績と賞を獲得しており、洋画家界に多くの影響を残しています。風景画や、明るい外光の中での人物像などを重層的に描きつつ、穏健で和やかな作風が特徴です。
1915年に東京美術学校西洋画科本科を卒業し、同校研究科に進学。文展において1916年より、3年連続で特選しています。
1923年2月にフランスへ渡りました。いままで身近な素材ばかりを捉えていた大久保にとって、フランスの文化や風景は壮大なものであり、少なからず影響を受けたことでしょう。
そして大久保は1927年5月に帰国し、第8回帝展審査員になります。また、槐樹社(かいじゅしゃ)に1941年まで会員として在籍します。大久保は日本の美術界にも大きく貢献しており、官展審査員を務める傍らで、1939年に安宅 安五郎(あたか やすごろう)、中野 和高(なかの かずたか)、鈴木 千久馬(すずき ちくま)らと創元会を結成、1942年まで同展に出品していました。
戦後は1950年日展に出品、運営会参事、審査員となり、また同年より1954年まで旺玄会会員になっています。
1955年、和田 三造(わだ さんぞう)、川島 理一郎(かわしま りいちろう)、吉村吉松、柚木 久太(ゆのき ひさた)とともに新世紀美術協会を結成しました。
1960年『市場の魚店』で日本芸術院賞を受賞、1963年に芸術院会員になりました。その後は1966年に勲三等瑞宝章を受章、1969年に日展顧問になっています。
大久保の風景画と戦争画
大久保は風景画を好んで絵画を制作してきましたが、そのほかにもベンチやテラスなど、光がさす明るい雰囲気のもとでの人物像を描いています。作品はいずれも外光派の穏やかな作風になっており、大久保の持つ温和な雰囲気は他の作家にはないものであり、見る人の心を温かくします。代表作は『庭の木陰』です。
一方で、『海鷲ルビアナ島攻撃』のような戦争画も手掛けています。
『海鷲ルビアナ島攻撃』には無数の戦闘機が描かれており、ルビアナ島に進出してきた敵に巨弾を降らせて大火災を起こしています。大久保には珍しく、荘重な画風で描かれています。この作品は、靖国神社の大祭記念に編集された『戦国の絵巻』で、1943年秋に掲載されました
大久保は1938年の第2回海洋美術展、1943年の第2回大東亜戦争美術展、1944年の第8回海洋美術展にも出品しています。