小林 萬吾(こばやし まんご)

小林萬吾の略歴

小林 萬吾は、1870年5月31日に香川県三豊郡詫間町(みとよぐん たくまちょう・(現・三豊市)で生まれた洋画家です。
外光派の作品が多く、黒田 清輝(くろだ せいき)師事しています。
ヨーロッパの巡歴後は東京高等師範学校教授として、美術教育に尽くしていました。

原田 直次郎(はらだ なおじろう)や安藤 仲太郎(あんどう ちゅうたろう)といった人物たちから西洋画の手ほどきを受けています。
そして1895年に黒田清輝と出会います。黒田の画塾に入門すると同時に東京美術学校西洋画科選科で学ぶなど、本格的に画家を志しました。
また、1890年および1895年の第3、第4回内国勧業博覧会に油絵を発表し、各褒賞を受けています。

1896年西洋画科選科に入学時、この年に創立された白馬会最初の会員となります。1907年第1回文展出品作『物思』と、第3回文展出品作『渡船』に3等賞を授けられました。以後、同会展覧会に出品を続けています。
その後、東京美術学校の助教授に就任し、1911年から1914年まで文部省からヨーロッパへの留学を命じられました。
1916年に東京高等師範学校教授を兼任し、光風会会員となり、1918年には東京美術学校教授を務めました。
1920年に帝展審査員、1935年に帝国美術院改組により帝院参与となり、引き続き官展の展覧会委員、審査員として毎回作品も出品していきました。

小林萬吾の外光派作品

上京したころの小林の絵というと精密な写実画が特徴であり、当時師事していた原田直次郎の影響が大きかったといます。
黒田に学び始めた後は、光や空気を明るい柔らなタッチで描く「外光表現」を追究していました。
藤島 武二(ふじしま たけじ)、和田 英作(わだ えいさく)らとともにヨーロッパ留学をへて、完成度が高まりました。

ヨーロッパから帰国して間もなく制作した『晴日のあんず』と『曇日のあんず』は、萬吾の代表作とされています。
また、昭和期は第8回帝展に出品した『花鈿(はなかんざし)』も代表作の1つです。
髪にかんざしを挿す女性をモデルにした人物画です。