独特の世界観を持つ謎多き野人作家 朝井閑右衛門
朝井閑右衛門(あさい かんうえもん)は、1901年~1983年まで活躍した洋画家です。
本名は浅井実といい、大阪の実業家の長男として生まれ、少年時代を広島で過ごしました。
後に画家を志して上京し、法政大学で学ぶ一方で独自に洋画を勉強していたそうです。
肖像画にも関心を寄せており、文学にも興味をもっていた朝井は、詩人や文学者の肖像も好んで描いていました。自らを語ることはなく、生い立ちについて不明な点も多いです。
油彩を塗り重ねて色彩豊かな独創的作風を展開し、強いこだわりを持っていたにも関わらず、有名になるのを避けていたのか画集も存在せず、個展もほとんど開きませんでしたので、特異な野人画家として知られています。また、横須賀市内の電線風景など、幻想的な連作を描いた画家としても有名です。
太平洋画会研究所を経て、1926年に『廃園に於いて』が二科展で初入選します。
この頃から「朝から閑」と自嘲し、朝井閑右衛門を名乗り始めました。
1936年になりますと『丘の上』を制作。
第11回文展鑑査展に出品し、丘の上の独特な世界観が高く評価され文部大臣賞を受けました。
『丘の上』では、動物の顔をした人間と、その後ろで音楽を奏でる者、舞を踊る女性などの不思議な様子が描かれており、当時の朝井閑右衛門の心象に感興を覚えます。
1941年に永富花子と結婚するも、1945年に単身で上海に赴き、別居状態となりました。この実質的離婚や環境の変化などから、作風が一変したという話があります。
1947年、日本に戻り横須賀市田浦に住むようになりますが、以後20年間独りで住んでいた模様です。
朝井閑右衛門の作品
戦後、同市田浦の二軒長屋を改装してアトリエとし、20年間にわたって制作活動を行っていた朝井閑右衛門は野人作家とまで言われており、画集や総集編もなく、個展も開きませんでしたので、ほとんど記録が残っておりません。
強すぎる個性をそのまま前面に出している印象がありますが、横須賀市内の『電線風景』の風景画や、『薔薇(法華壷)』『バラ』などの花の絵も多く手掛けていたようです。
他にも『祭I-お狐』『祭II-巫女さん』『祭III-鶴ケ岡』のように祭りを題材とした絵も制作しており、神奈川県立近代美術館では、これらの絵画が今も展示されています。