オディロン・ルドン

オディロン・ルドン『死 聖アントワーヌの誘惑』

独特の人生観を描き続けた画家 オディロン・ルドンの生い立ち

一人ぼっちの幼少期

オディロン・ルドンは、1840年4月20日ベルトラン・ルドンの息子としてフランスのボルドーで生まれました。オディロン・ルドンの本当の名前はベルトラン・ジャン・ルドンでしたが、母親の愛称であったオディーユに似たオディロンと呼ばれていて、生涯この名前を使っていました。
ルドン家は裕福でしたが、母親が長男を溺愛したため、次男であるオディロンは生まれて2日目にしてペイルルバードというボルドーの近くにあるルドン家が持っていた別宅に里子に出され、11歳まで育ちます。

その後オディロンは父親の希望もあって建築学を学ぶべく、エコール・デ・ボザールの入学試験を受けますが、不合格になったため、建築家になる事をあきらめたようです。
1864年にはパリに出て、銅版画家のロドルフ・ブレダンに師事、そして1878年頃からは版画家のアンリ・ファンタン・ラトゥールからリトグラフの指導を受けます。1879年に初めての石版画集『夢のなかで』を刊行しました。

家族がもたらした画風の変化の時期

その後もしばらくの間は木炭画、銅版画や石版画といった白黒を基調にした作品を作っていましたが、1880年に結婚した頃から徐々にカラフルな色の絵を描き始めます。
母親に捨てられたことで、心に傷を負ったルドンは、結婚した事によって、いつも一人ぼっちという境遇から抜け出したことが、色使いの変化をもたらしたようです。

またルドンの次男(長男ジャンは生後6か月で死亡)アリが1889年に生まれた翌年には、『目を閉じて』という作品を作成し、これは1904年に国家買い上げとなっています。長男が亡くなった3年後に生まれた次男アリは、大きな喜びをルドンにもたらしたようです。
ルドンの作風はこれ以来白黒の色使いに戻ることはなく、パステルカラーを多用し、軟らかさを感じさせる絵を描いています。
1916年、風邪が悪化してパリで逝去しています。享年76歳でした。

オディロン・ルドンの作風

オディロン・ルドンは象徴主義の画家と言われています。
象徴主義というのは、19世紀後半から20世紀始めの頃にフランスなどヨーロッパで人気のあった芸術運動です。その当時流行の印象派の自然をリアルに描くだけというスタイルは、考えや信念といったものを絵画に描くことができないという弱みがありました。その弱みを補ってできたのが象徴主義なのです。

オディロンの代表作「不思議な花」は花の部分が子供の顔になっていますし、これ以外にもルドンの作品は全体的にとても神秘的で謎めいているところが特徴と言えます。ルドンは独自の世界観を描いた画家と言えます。