銅像(ブロンズ)

希少性の高い銅像(ブロンズ像)は、骨董として価値が高い

一見すると違うものように感じる、銅像とブロンズ像。ブロンズの材料や作り方などとともに、その技術をもとにブロンズがいかに日常的なものとして活用されているのか、貨幣や銃砲などの実例をあげてご紹介します。
同時に国内外におけるブロンズ像の歴史や代表的な作品、さらに骨董としての価値を決める判断材料、そして日本ならではの特殊な事情によって、ブロンズ像が希少価値の高い骨董であることをご案内します。

銅像とブロンズ像の違いとその特性について

銅像とブロンズの名称について

一般的に銅像とブロンズ像は同じものを指す言葉ですが、厳密にその2者には違いがあります。ただし、この違いは名称の由来によるものですので、価値の評価に関わるものではありません。

銅像とは読んで字のごとく「銅で作られた像」のことですが、実際の銅像は銅だけで作られることはなく、銅を主体に錫(すず)などを混ぜた合金で作られます。そしてこの合金のことを、一般的には「ブロンズ」と呼んでいます。

文字どおりに表しますと、銅像とブロンズ像は似て非なるものということになりますが、実際の銅像に純度100%はあり得えませんから、あえて銅像をブロンズ像と区別する必要はないことになります。

ちなみに銅を使った合金のなかで代表的な品といえば、銅に亜鉛を合わせた真鍮(しんちゅう)/黄銅や、銅に錫を混ぜた砲金(青銅)、銅と亜鉛とニッケルを混合した洋白(洋銀)があります。
真鍮で有名な品は「五円硬貨」、砲金で有名な品は「十円硬貨」、洋白で有名な品は「五百円硬貨」が知られています。

ブロンズの語源について

ではなぜ「銅像」、または「ブロンズ像」と呼ぶのでしょうか。
本来、銅は英語で「Copper(カッパー)」ですから、日本語の呼称が「銅像」であれば「カッパー像」となるべきでしたが、実際には「ブロンズ像」と呼ばれることになります。

語源には諸説あり真意は定かではありませんが、一般的にいわれている「銅像」の語源は、日本に西洋文化が入ってきたころ、金属で作られた像を「Bronze statue(ブロンズ・スタチュー)」と呼んでいたそうで、やがて短縮して「ブロンズ像」となったという説です。

どちらにしても、日本語表記の銅像と英語表記のブロンズ像は同じものを指していて、当初は歴史上の偉人や動物、芸術的な価値があるモニュメントなどを対象に造られたものです。

銅像、ブロンズ像の色について

銅像といえば赤みを帯びた「銅色」が浮かぶかもしれません。でも実際には濃い青色の「青銅色」か、もしくは十円玉のような「赤銅色」の作品が一般的で、ほかにもさまざまな色の銅像があります。

この色の違いは、主体とする銅に混合する物質と量によって異なります。また完成後に銅部分が酸化し、変色することで青みがかった緑色になることもあります。そのほかにも、鋳造後に表面をコーティングすることで、原色から変化したものもあります。

一般的な銅像(ブロンズ像)は、銅85%に錫やその他の物質15%を混合したものです。この混合割合を変えると色に違いができますし、また季節や気温、焼き具合によっても完成時の色に違いが出ることがあります。

銅像の硬度について

一般的に銅製品を銅像またはブロンズと呼びますが、日本国内の歴史を遡ると長い間「青銅」と呼ばれていることが多かったわけです。青銅はもともと光沢のある銅色に近い赤みを帯びた色合いですが、混合される錫の量を増やすとゴールドのような黄金色に、さらには白銀色へと変化する非鉄金属です。

大事なところは、この色合いによって青銅の硬度に違いがあることです。濃い青色から白銀色に近づくほど、硬度が増していきます。ただし硬度が増しても錫が多く入ることで「もろくなる」のが欠点です。ですから柔らかい青銅は、刀などの実践的な武具よりも彫刻を施した銅鏡や、芸術的な価値のある銅像の材料となったわけです。

一方で青銅よりも硬い鉄は、その硬度をいかして剣や砲などの材料となりましたが、「早くさびる」という欠点があり、愛でるための芸術的な品には不向きな原材料となったのです。

数奇な運命に流されながら伝承された、ブロンズ像の歴史について

銅像(ブロンズ像)の起源について

銅像(ブロンズ像)は、古来より世界各地で作られていたものです。ブロンズ像の起源は、現在のイラク(チグリス・ユーフラテス川周辺)で起こった、初期のメソポタミア文明のシュメール文明によって発明したものとされています。

いまから5000年前、紀元前3000年ころに銅や錫の産地であったイラン高原から採掘した、銅や錫などの材料をもとにブロンズ像は鋳造されます。イラン高原一帯で生まれたブロンズ鋳造ですが、それぞれの地域によって銅と錫の混合比が異なり、現在発掘されているブロンズ像は、混合比の分析を行うことで当時の原産地を特定することができます。

純正の銅に比べると合金したブロンズは硬度が強く、しかも研磨や圧延などの加工ができるため、斧や剣などの道具や壺などの保存用容器の素材となりました。そして芸術性の高い人物や動物のブロンズ像が作られ、現在では骨董の品としても高い評価を受ける、すばらしい彫刻技術へと発展していきます。

そもそもブロンズは壊れにくく劣化しない素材として、屋外に設置される人物像などに多用されていきます。鋳造技術や彫刻技術は進歩していきますが、ブロンズ像で有名な「考える人」が登場しますと、それまでになかった内面の表現が重要なポイントになってきます。

つまり骨董の価値をはかるブロンズ像は、鋳造技術や彫刻技術だけではなく、芸術的なセンスが重視されていくことになります。

日本におけるブロンズ像について

日本におけるブロンズ像の始まりは、中国大陸から持ち込まれたものと考えられています。青銅(ブロンズ)で作られた鏡や剣などは、有史以前の紀元前3世紀ごろに朝鮮半島を経由して伝来し、九州を経由して日本全域に広まっていったようです。

紀元前1世紀になると国内で生産されていたようで、型枠が九州の国内鋳造遺跡から発掘されています。なお、当初は中国・朝鮮からの渡来人によってブロンズ像の鋳造技術・彫刻技術は伝わりましたが、他国とは違って鉄の鋳造技術も並行して導入していたのが日本の特徴といえるところです。

古墳から出土する銅鐸などのブロンズ製品は、1世紀末になると東アジアにおける製造技術でトップクラスの水準まで達していきます。銅鐸の使用目的はわかっていませんが、外側には袈裟襷文(けさだすきもん)と呼ばれる文様が彫刻されていました。

当初は祭祀に使われるものや、信仰の道具を中心に作られていきます。7世紀になると飛鳥大仏や奈良の大仏など大型の青銅仏像が作られ、特に「奈良の大仏」は世界最大のブロンズ像といわれており、ブロンズ像として日本が世界に誇れる仏像といわれています。

戦国時代以降になると戦闘に対する考え方が変わり、大砲などの武器を使用することになります。当初は海外から調達した大砲ですが、製造技法が伝来したことで日本国内でも大砲や火縄銃を造れるようになります。

これらの武器はブロンズで造られていて、安定的な鋳造技術とともに精巧な彫刻技術が発達していきます。これらの技術がその後のブロンズ像に受け継がれ、写真のない時代でも写実的な彫刻技術で、人物像を作ることができるようになります。

骨董として価値のある彫刻が施された、銅像の特徴

銅像の作り方について

銅像にはいくつかの製造法はありますが、もっともスタンダードな製造法は青銅(ブロンズ)を材料にした「鋳造法」と呼ばれるものです。世界的にも有名な大仏は、砂で型を作る砂型鋳造法というものです。

木・石・粘土などで大仏の原型を造り、表面にケイ酸塩鉱物のマイカ(雲母)を塗って、二層目の粘土を重ねて乾燥させます。外側の粘土をはがして原型の粘土層を削り、二層目との隙間に溶かしたブロンズを流し込み、そのブロンズが冷えて固まってから型を外し、表面に彫刻を施して磨けば完成です。

なお、このほかにも芸術品に多い技法としては蝋(ろう)型鋳造法、サイズが小さな仏像などで細かな細工が必要なものにはガス型法などがあり、他にもさまざまな鋳造法があって作家や作品によって作り方は変わります。

銅像彫刻の骨董としての価値について

年数と作者

古くて希少価値のあるものを骨董といいます。一般的に100年以上経過したものを「古いもの」としていますが、品物や種類によってその期間は異なります。
銅像(ブロンズ像)については、5,000年前から鋳造されていたものですので、古さもさることながら芸術的な価値や歴史的な価値、また作家のネームバリューなども勘案されて骨董の価値が判断されます。

製造法

銅像彫刻においては、その鋳造法も価値を判断するうえで重要なファクターとなります。前述したように製造法は多岐にわたりますが、一定の品質をつくり出すのが難しい製造法で作られた作品は希少性のあるものが多く、すなわち骨董としての価値を評価されることがあります。

合金比

銅像(ブロンズ)は銅と錫などを混ぜた合わせた合金ですから、原料の混合比も判断材料のひとつに挙げられます。なおメッキなど表面加工がされていますと、価値が下がることもあります。

鑑定力

ブロンズ像は美術品のような高尚な作品だけではなく、さまざまな形を表現する立体像として多くのものが作られてきました。それこそ、ブロンズ製の彫刻像はお土産品などにも使われるほどポピュラーなものだったことから、価値ある品を判断できる相応の知識が必要となります。

骨董の価値を高めた、屋外展示のブロンズ像

彫刻物のなかで最も使われているブロンズは、ギリシャ時代の大型彫刻を始め多くの作品が残されています。長い期間、多くの作家が彫刻物をブロンズで作成した理由は、劣化せず壊れにくい素材だったことが好まれたようです。

そもそも彫像物は粘土や石こうなどを使うことが多かったのですが、これらは加工しやすいという利点の反面で壊れやすいという欠点がありました。
ところが銅を主体にした合金のブロンズ像は、多少の衝撃にも耐え得る硬度があり、しかも、銅などの非鉄金属の合金は腐食しにくい特性を持っていました。

表面は酸化被膜のおかげで腐食しにくいため、長期にわたって素材が劣化することはありません。このような利点からブロンズは立体的な像だけではなく、貨幣などにも使われるほど安定した素材として認められていきます。しかも金属の鉄よりは柔らかいため、彫刻に適した素材といえます。

ブロンズは特性をいかして細部にわたり細かな彫刻を施すことができ、芸術的な作品を生み出してきました。さらに雨や風に長時間さらされても、ほとんど劣化しないという長所を兼ね備えていることから、屋外の人目につく場所に展示することができ、ブロンズ像は権勢誇示や偉人哀悼の象徴として多くの人から注目される作品となったわけです。

骨董としての価値あるブロンズ像について

長い歴史をもつブロンズ像は、著名な作家の作品であることや時代背景による希少性などで、骨董の価値は異なります。特に著名な作家の作品は、ブロンズ像に限らずファンやコレクターに需要があるため、市場価値は安定していて骨董としての価値も高まります。

一方で、時代背景による希少性とは、ファンやコレクターにとって数が少ないため市場価格に反映されるものを指します。仮に製作当時はたくさん作られたとしても、戦火や災害などによって大半が消失してしまい、いまでは数少ない希少価値の高い作品となったものが、骨董としての価値を評価されることになります。

ブロンズ像というだけでも価値がある

そもそもブロンズは、平面的な二次元作品と立体的な三次元作品のどちらも、芸術的に高い評価を受けている彫刻の材料とされてきました。そのなかでブロンズ像は、銅を主体に一定の厚みをもつ鋳物(いもの)です。

熱したブロンズを鋳型(いがた)に流し込み、冷えてから枠をとり除いて彫刻や表面処理をします。現在の鋳型品は材料に合成樹脂を使うことが多くなり、ブロンズ像は価値ある芸術的な作品に使われることが多くなっているため、やがてはブロンズ像の多くが価値ある骨董作品となることでしょう。

なお現在の骨董価値を見ますと、西洋で作られたブロンズ像のなかには、作品の芸術的な評価はもちろんのこと、度重なる戦火をくぐり抜けてきた希少性が評価され、億の値が付くものもあります。

また国内市場でも完璧な形で残っているブロンズ像が少ないため、戦火を免れた日本製のブロンズ仏像のなかには高い評価の作品があります。

日本国内外の有名なブロンズ像とは

世界中で有名なロダンの「考える人」

代表的なブロンズ像といえば、あの「考える人」の彫刻がよく知られているところです。作者のロダンは「地獄の門」という高さ6メートル・幅3メートルの大作を手掛け、その一連の作品群の一部に「考える人」(作者は「詩人」と名付けた)があったわけです。

1880年、「装飾美術陳列館」の正門彫刻を依頼されたロダンが、劣化しない材質のブロンズを使い作ったものです。ただし「考える人」が有名になったのは1904年にサロンに出品されてからで、このあと大小4つの「考える人」が作られ、東京も含め世界4か所に置かれたことから、世界的なブロンズ像として有名になったわけです。

国内で有名なブロンズ像について

待ち合わせの場所として有名な「忠犬ハチ公」

実物を見たことがなくても、日本中で知らない人はいないといわれるほど有名なブロンズ像といえば「忠犬ハチ公」です。渋谷駅前に立つ待ち合わせスポットとしても有名で、飼い主を待つ従順な動物を称えたブロンズ像です。

理想の人物像を作り上げた「西郷隆盛像」

「維新の志士」として主導的な役割を果たし、近代国家の礎を築いた国士「西郷隆盛」の像です。晩年は新政府と袂を分かち反逆の徒となった人物ですが、明治期に「西郷どん」として上野の恩賜公園にブロンズ像が建立されました。

当初は軍服姿を予定していましたが、犬を連れた浴衣姿の日常の風体に変更されたそうです。本来、人物像は本人に似せて作るものですが、西郷の妻によると「うちの人はこげんなお人でなかった」とお披露目の除幕式で取り乱したそうで、創作された人物像といわれています。

日本各地で祀られている「大仏像」

日本国内の大仏像は、未完成のものを含めて104基あります。そのなかでも茨城県牛久浄苑にある高さ120mの「阿弥陀如来立像」が世界最大のブロンズ像といわれています。また三大仏として有名な東大寺の「奈良の大仏」、高徳院の「鎌倉大仏」の2基、もう1基は時代によって変わり「高岡大仏」や「岐阜大仏」などが3番目の大仏として挙げられています。

彫刻したブロンズ像の置物の価値

ブロンズ像の価値は、作家や産地、また年代によって異なる場合があります。たとえば人気のアール・デコのブロンズ像は、骨董市場でも高い評価が期待できます。また中国とその周辺のアジア諸国で造られた仏像や縁起物、日本国内であれば歴史上の偉人を讃えたブロンズ像などが高い評価を受けています。

ただし世界的に人気のアール・デコの作品は、真贋を確かめるために信用おける鑑定書で確認したいものです。また日本国内の作品では、第二次世界大戦中に金属類回収令がだされているため、それ以前のブロンズ像は例外なく回収されています。1941年以前から国内にあった作品の場合には、確かな鑑定書で確認を必要とします。