価値の高い翡翠(ひすい)に、加工技術を駆使した装身具
かつて翡翠に不思議な力を期待して、「身近に置いておきたい」と装身具、アクセサリーとして身につけたものが翡翠製の勾玉(まがたま)だったのでしょう。
以来、多くの翡翠製の装身具が作られていきますが、中でも日本の生活様式の中で生み出された、簪(かんざし)や帯留めなどの和装品は、家庭でも所蔵している一般的な宝石類となったわけです。
当初は高貴な人たちが使っていた翡翠の装身具ですが、ここでは身近な宝石となった過程と翡翠装身具そのものをご紹介します。
翡翠装身具、アクセサリーとは
翡翠製の装身具、アクセサリー
装身具(そうしんぐ)とは、身体を飾るための工芸品のことです。現在では指輪、イヤリングやネックレスなど「アクセサリー」として代表的なものです。
翡翠は、もともとスピリチュアルな意味合いを持っていましたから、装身具では身を守る不思議な力を期待して、常に身につけるパワーストーンのような役割を担っていったのです。
翡翠は希少価値があり、しかも高価な宝石ですから、当初は特別な人たちだけが所有することができました。
翡翠が持つ半透明な色合いから、石が持つ神秘の力を期待し、死後の世界にまで影響を与えると考えるようになります。やがて霊験あらたかな専門家(宗教をつかさどる)たちが出現し、身にまとう翡翠の装身具は徐々に宗教の色合いが強くなっていきます。
社会が成熟してきますと、一般の人々も神秘の力にご利益を求めて翡翠の装身具をつけるようになり、それまでの宗教的目的よりも、身を飾る美しさ=アクセサリー的目的が主流となって、一気に広がっていきます。
日本国内の翡翠の装身具
希少価値のある鉱石を装身具にできるのは、一定の身分以上でなければ難しいのは、今も昔も変わりません。
縄文時代のころから翡翠の装身具を身につけていたのは、やはり支配階級の人々であったことは、遺跡が発掘され、翡翠の装身具が共に出土したことで解明されています。
ところが縄文時代から弥生時代に変わる過程で、人々の生活様式が着物主体の生活に移り、行動範囲が狭まったこともあって、やがて翡翠の装身具以外に装飾品を求めることになります。
同時に弥生時代以降になりますと、翡翠の国内採掘がなくなり、同時に国産翡翠の加工品もなくなっていきます。
日本国内から装身具が消えた理由とは
理由はいくつかありますが、すでに弥生期から翡翠製品の輸入が開始されていたことが一番の理由だったのでしょう。翡翠製品の輸入が始まったことで、それまで所有者が限定されていましたが、徐々に一般の人々に広まり、希少価値のある翡翠を身につけることができるようになります。
当初、祭祀をつかさどる人の装身具だったものが、装飾品=アクセサリーとして広まったことで、この時期の文化に変化が起きたと考えられます。
こうして広まった翡翠の装飾品ですが、結果として弥生期以降、日本の中では消えていき、ここから外国文化が流入してくる近代に至るまで、翡翠の装身具を身につけることはなくなっていくことになります。
和装の装身具として普及
ただし、翡翠は和装品として活用されています。
日本髪を飾る「簪(かんざし)」や「櫛(くし)」などの装身具は翡翠製のものもあります。往時の装飾文化兼実用品として必須アクセサリーだった「笄(こうがい)」にも同様に使われています。
ちなみに笄とは丸髷(まるまげ)を下から支える留め具でもあり、簪とは違ったアクセサリーで、頭がかゆいときに、結いを崩さずにかく小道具として使われたものです。
他にも着物の帯にアクセントを加える「帯留め」や、小物入れに使った巾着のヒモを留める玉「緒締め」にも翡翠製のものが使われています。
海外の翡翠製の装身具
海外では古代より翡翠のもつ「不思議な力」が自らにも宿るようにと、身近な装飾品に形を変えて使われてきました。
中国を中心とした周辺のアジアや、マヤ文明で栄えた中央アメリカなどでは、信仰も兼ねた宝飾品として身につけ、そばに置いて大切にされてきました。
中国の支配階級にとって得難い「不老不死」の力を持つといわれる翡翠。同様の効力があると思われた、仏教の経典とともに珍重されました。
しかし時代が進むと翡翠の役割は仏像に替わり、また一神教(キリスト教など)の十字架なども加わって宗教観がなくなっていきます。
やがて翡翠はお洒落のための装身具としての役割が強くなっていき、純粋に美しいものを身につけたいというニーズの高まりとともに、芸術性の高い翡翠の装身具(ジュエリー)が一般の人々へと広まっていきます。
翡翠装身具、アクセサリーの歴史
日本の翡翠装身具の歴史とは
すでに縄文時代には翡翠の国内採掘が行われていましたので、日本では有史以前から翡翠を使っていたことが分かります。
翡翠は当時から希少価値のある鉱石として認められていたようで、遺跡などからは耳飾り、首飾り、指輪、腕輪などの翡翠装身具が出土しています。
特に犬歯を模した勾玉(まがたま)は、古代日本の代表的な翡翠製品であり、祭祀などに用いる大切な道具として、また男女を問わず一般的な装身具としても使用されていたようです。
翡翠装身具に影響を与えた生活様式の変化
ところが弥生時代を境に明治時代になるまで、翡翠の国内採掘はなくなります。しかも奈良時代以降からは、翡翠が装身具として使用されることもなくなります。
翡翠製装飾品の習慣がなくなった理由には諸説ありますが、生活様式が一変したことにその原因の1つがあったようです。
奈良時代の貴族階級は十二単(ひとえ)を着用するようになり、動きにくい服装が行動範囲をせばめた結果、出歩くことがなくなり装飾品を必要としなくなったと考えられています。結果として翡翠の装身具を身につけることもなくなったわけです。
しかしその後は、和服(着物)文化が定着したことで、和装にあわせた簪(かんざし)などの髪飾りや帯留めなどの和装品に翡翠が素材として利用され、芸術性の高い装飾品が作られるようになります。
当初は特別な階級が祭祀などに使用していた翡翠が、時代の移り変わりによって庶民が使う和装品へと変わっていったことが分かります。
海外の翡翠装身具の歴史とは
海外の歴史的翡翠装身具といえば、中央アメリカで栄えたマヤ文明の葬送に用いた仮面です。
マヤ文明の始まりがいつなのかは正確には分かっていませんが、我々日本人と同じモンゴロイドであることから北端のベーリング海峡が陸続きであった頃に移動して、新たな文化を築いたものと思われています。
彼らは指導者が亡くなりますと、翡翠で仮面を作り、遺体にかぶせて埋葬したそうです。
翡翠は「永遠の命」をもたらすと信じられていたことから、翡翠仮面以外にもそれまで使用していた翡翠の装飾品も一緒に納棺することで、死後も安らかに過ごせると考えたようです。
また指導者の死後、混乱がないように、次代を継ぐ者たちは当時の希少鉱石である翡翠を埋葬品とすることで、権勢や財力を誇示できる狙いもあったのでしょう。
海外の翡翠製品は、時代考証で価値に違いが出る
一方で中国圏は、昔から翡翠が価値の高い宝石とされていて、翡翠を使った装飾品が多く生まれています。
当初は宝石の「玉(ぎょく)」としてめでられ、その後彫刻技術が発達し、芸術作品ともいえる装身具が今も現存しています。
しかしながら、中国産の翡翠は、希少性の低い「ネフライト(軟玉/軟質翡翠)」で作られたものが多く、清王朝末期までの翡翠装飾品の価値は彫刻技術に主眼が置かれることになります。
また清王朝以降の品は、ジェダイト(硬玉/本翡翠)が使われたものが多く、骨董市場でも高価値の品とされています。
翡翠で作られた、骨董の価値がある装身具の特徴
翡翠装身具の骨董価値
翡翠製骨董装身具、アクセサリーの価値は、鉱石としての価値と、芸術的価値に分かれます。
翡翠を鉱石の価値で見ますと、硬質なジェダイトと軟質なネフライトの2種類があります。
現在、希少性の高いジェダイトがより高価な品とされていて、骨董の価値を見定めるときには最初に確認する重要なポイントになります。
希少価値がある翡翠の色
また色についても、鉱石的価値を計る上で重要となってきます。
天然の翡翠を骨董の価値で分けますと、大きく6種類あります。
一般的に翡翠色とよばれる緑色の「緑翡翠」、翡翠本来の白色で緑色と同等の価値がある「白翡翠」、高貴な色といわれる薄紫色の「紫翡翠」、そのほかにも「黄翡翠」「紅翡翠」「黒翡翠」などがあります。
最も価値ある色は、翡翠色という言葉があるように緑色です。
特に日本では深い緑色、東南アジアでは淡い緑色が価値の高さとなっていて、最高色は青竹のような緑色のロウカンです。
他の色では半透明な白色、つまり純粋な翡翠の色も緑色と同様に資産価値があるとされています。
もともと翡翠は透明な結晶が石化したことで、光の屈折よって半透明に見えるわけで、その半透明の層がいくつも重なることから白色に見えるわけです。
つまり白い翡翠は不純物が混じっていない真正の翡翠色ということですから、必然的に翡翠鉱石としての価値も上がります。
ただし、骨董としての価値を翡翠原石に求めても意味はありません。翡翠は一定の価格で取引されていて、品質や色合いなどの評価は細かく数値化されています。
もともと鉱石は地下奥深くで長い期間をかけて生成されたものですから、加工して付加価値を生まなければ、原石を上回る価値はないと思った方が良いでしょう。
骨董の翡翠装身具とは
古代の装身具の中で、「骨董」として価値がある翡翠製品は、市場で流通しているもの、もしくは市場価値があるものでなければいけません。
すなわち「売れないモノに価値はなし」ということです。
その上で中国とその周辺諸国では、翡翠は「不老不死・不滅・再生の力がある」と信じられていましたので、支配階級が好んだ観点で見ますと、おのずと骨董として質の良いものが残されています。
ただし、往時の中国には軟質の翡翠=軟玉(硬質の翡翠=硬玉は西太后以降)が使われていますので、価値を定めるためには真贋を鑑定する力量が必要となります。
翡翠で作られた骨董装身具の特徴
反対にミャンマーは当時から硬質翡翠=硬玉の産出地として、質の良い翡翠の装飾品が作られています。
しかも原産国として中国にも輸出していましたので、骨董品として中国産の中にも価値がある硬質翡翠製のものがたくさん残されています。
一方で、日本国内の装身具の中で翡翠製の骨董といわれるものは、いわゆる和装の装身具が品数も多く、また品質の良いものが多く残されています。
特に女性の髪結いに必要な櫛(くし)、そして飾りつけのための簪(かんざし)や笄(こうがい)は、希少価値が高い一点ものの良質な骨董品とされています。
他にも和服に必要な帯留めや小物を入れる巾着の緒締めなど、和装小物にも良質な翡翠が使われています。
有名な翡翠の装身具と価値について
翡翠製の装身具-勾玉(まがたま)
国内で初期の翡翠装身具といえば「勾玉(まがたま)」があげられます。
当初は祭祀のための装身具として活用され、その後は勾玉を耳に下げる耳飾りや、連結させて首飾りにして、翡翠製の装飾品として一般人にも広く使われていました。
その勾玉の中で特に有名なのが「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」です。
八尺瓊勾玉は歴代の天皇が継承してきた宝物で、三種の神器の1つとして日本で最も高名な装身具といえます。
もっとも最近の研究では、三種の神器が天気予報や暦を作成するための三点測量の器具で、日を見ることができる特別な能力、つまり日巫女(卑弥呼)に通じるのではないかという説もあり、後年の研究如何によっては、必ずしも装身具の分類にはならない可能性があります。
翡翠製の装身具-耳飾り・首飾り
縄文時代には、翡翠を使った首飾りや耳飾りが作られていました。もともとは中国大陸の風習だった耳飾りは、円形の真ん中をくり抜き、耳たぶの部分だけカットした石製イヤリング(玉ケツ ぎょっけつ)は広く使われていたようですが、弥生時代の遺跡からは耳飾りが発掘されることはなく、日本国内では一時期の装身具となったようです。
また首飾りは勾玉をつなげたものが縄文期から出土していて、弥生期になると形を変えた丸玉の翡翠玉を連ねた首飾りが発掘されています。
さらに時代が進みますと、翡翠玉を念珠のように一重・二重巻きとした首飾りが一般人の中でも使われていたことから、耳飾りとは違い永く定着した装身具となったようです。
現代のアクセサリーに通じる翡翠装身具
時を経て和服(着物)が主流になりますと、櫛・笄・帯留めなどの和装小物が装飾品として人気となります。
もちろん翡翠を利用した和風小物なども使われていきますが、それはかなり時代が過ぎてからのことになります。
もともと翡翠は希少価値のある宝石として、実用品に使われることはなかったようです。
ただ時代が進みますと貨幣が生まれ、また生活水準も向上したことで一般庶民の中でも翡翠製の簪(かんざし)や帯留めなどが使われるようになります。
さらに明治以降になりますと、翡翠は一般的装身具の材料として親しまれるようになります。
当時はハイカラ文化が席けんしていましたから、翡翠のペンダントやネックレス、またはブローチなどたくさんのアクセサリーに使われることになります。
他にもピアスやイヤリングまたは指輪など、直接肌に触れるアクセサリーにも翡翠は使われ、これらの品は翡翠自体の価値もさることながら、骨董価値が高く評価される貴重な品といえます。
翡翠製の装身具の価値
宝石としての翡翠は「硬玉(ジェダイト)」と「軟玉(ネフライト)」に分けられます。
この2つの種類は全く違う化学組成によって生成されたものですので、鉱石としての翡翠は別の物と見ますと、硬玉は価値が高く、軟玉は価値が低いということになります。
もちろん見た目はソックリですので、見ただけでは違いを見抜くことは難しいことです。
ではどのように分別するかといいますと、もともと透明な原石ですから光を当てますと、繊維が交差して、その光の屈折状態から違いを判断します。
この判定には専門的な知識と経験が必要で、しかもすでに製品化されたものは“見ただけで”判定することは難しいため、鑑定のための専用器具が必要となります。
特別な翡翠、ロウカンの価値
その中で特に気を付けたいのは「ロウカン」といわれている、鮮やかな緑色の翡翠です。
翡翠の中でもかなり希少性が高く、骨董市場では特別に高価で取引される対象のものです。
ただし、ロウカンが市場に出ることは極めてまれで、実際にはトリートメント(色の改善)など人工的に手を施している物が出回っていると疑ってみるべきものです。
もちろん偽物は極端に価値が落ちて、満足な値が付かないこともあります。