生涯をかけ女性美の表現方法を追求した伊藤清永
伊藤清永は、いかに女性の美しさを絵に表現するか。を、生涯にわたって追い求めた洋画家です。学生の頃から、裸婦像だけでなく多くの名作を残してきました。今回は、伊藤清永の女性美に向けた強いこだわりの姿勢や、代表作に見られる魅力などについてご紹介します。
女性美を追求した作家活動
伊藤清永は、70年ほどの長い作家活動のなかで女性美の表現を追い続けた洋画家です。
出身は兵庫県出石郡であり、1911年に禅寺の三男として生まれます。14歳の頃から油絵を開始し、中学卒業後の1928年17歳の時に、中学時代の図画教師により中学のとき有名な洋画家の岡田三郎助を紹介され、本郷洋画研究所にて画業をで学ぶ。翌と1929年に東京美術学校(現東京芸術大学)西洋画科へ進みました。
在学中に開かれた第8回槐樹社展で初入選するなど多くの舞台で活躍するなか、伊藤清永が追求したといわれるテーマは女性美です。終戦により戦争から復員した後は、兄に代わり実家「吉祥寺」の住職代理を務めた。また、1947年には兵庫県にて図画教員嘱託として教職をつとめ、同年絵画制作を一からやり直す意図で最初からやり直すつもりで裸婦制作に取り組み始めます。1947年~1950年まで4年連続で日展に出品し、4年連続して日展特選を受賞しました。
1962年には51歳で渡欧し、パリとオランダに滞在するなか作品制作に努めました。パリにて画商であり評論家であったダニエル=ヘンリー・カーンワイラーにパリ留まるよう勧められましたが、伊藤は断って帰国。帰国後も裸婦などを描き続け、渡欧で培った技術を生かし、女性の肌がが美しく表現された名画は高く評価されています。
婦人画に見られる魅力
伊藤清永の婦人画に見られる大きな魅力は、色彩の豊かな柔らかい線で表現された、女性の美しさです。
数々の裸婦像は、繊細な線を無数に重ねることで生まれました。この表現方法は豊麗優美といわれる女性を描き出し、「発光する裸婦」と称されています。
晩年まで常に女性美の表現方法を追求するなか、伊藤清永は華麗で温かみのある画風を築き上げました。長年にわたり作品制作への基本姿勢は大きく変わらず、独自の方法が培われたといわれています。
さまざまな経歴を積み重ねながら首尾一貫して女性を美しく描き続けた多くの絵画は魅力にあふれ、いまも作品絵を見たとき心を動かされるとの声は少なくありません。
魅力的な代表作の数々
伊藤清永の魅力的な代表作は、裸婦像にとどまらず風景画を含め多岐にわたります。
東京美術学校に在学時、1931年の槐樹社展で入選を果たした作品は「祐天寺風景」です。2年後には第10回白日会記念展に「窓辺静物」「庭の一角」を初出品し、白日会賞を受賞しました。
24歳のとき東京美術学校油絵科の卒業制作で描いた作品は「裸婦」、翌年に文部省美術展覧会監査展で選奨(特選)受賞となり、本格的に画家への道を歩み始めたといわれる出品作は「磯人」です。
2001年、軽井沢のアトリエで描いていた「ばら」数点が絶筆となりました。伊藤清永の絵は裸婦像以外も名作であり、洋画の買取査定では高評価を望めるでしょう。洋画の買取を検討中の方は、お気軽に「なんぼや」までお問い合わせください。