こけしは江戸時代から愛され続ける存在|奈良時代からの伝統的な木製玩具
こけしは、江戸時代から木製玩具として愛されてきました。その始まりは、奈良時代に国家安泰のため制作された木製品といわれています。今回は、こけしの歴史をたどりながら三大こけしを中心にその特徴などをご紹介します。
こけしで安泰祈願
こけしは、もともと奈良時代に国の安泰を願うため生み出されたといわれる木製品です。
いまから1200年以上前、当時の天皇であった称徳天皇は木製の小塔を100万基つくり国家安泰を祈願しました。この小塔が、木地師の手で制作された最古のこけしと考えられています。
庶民の間に広まったといわれる時期は、平安時代以降です。ろくろびきの技術を習得した木地師は全国の湯治場を訪れ、こけしを子どものための木地玩具として制作したとの説が知られています。
こけしの伝統的な11系統としては、津軽(青森)、木地山系(秋田)、南部系(岩手)、鳴子系・作並系・遠刈田系・弥次郎系・肘折系(いずれも宮城)、山形系・蔵王高湯系(いずれも山形)、土湯系(福島)が挙げられます。
三大こけしの特徴
こけしの伝統ある11系統のうち、三大こけしと呼ばれるのが鳴子系・遠刈田系・土湯系です。
鳴子系は、宮城県の北部にある鳴子温泉を中心に発展しました。特に首を回したときキュッキュッと鳴る音が大きな特徴です。胴体は少しくびれ、その多くは上下のろくろ線の間に菊模様が描かれます。
遠刈田系が発展した地は、宮城県南部の蔵王町遠刈田温泉。主な特徴は、さしこみ式の頭とスリムな胴体です。美しい木目に菊や梅が描かれ、華やかに仕上げられます。
土湯系が発祥した地は、福島県福島市の土湯温泉です。はめ込み式でキーキーと鳴る小さめの頭や、胴体を彩るしま模様のろくろ線に特徴があります。
伝統ある系統のなかでも三大こけしは知名度があり、買取でも高評価を得られると期待できます。
いまも愛され続けるこけし
こけしは、いまも多くの愛好家に親しまれる木製人形です。特に最近は、女性の間で新たなブームになっているといわれています。
かつて、こけしは江戸時代に湯治客の土産物として広まりました。湯治客の大半は農民が占め、農作業の疲れを温泉で解消した帰りに子どもへのお土産としてこけしを購入したといわれています。
大正時代頃には、新しい玩具の登場もあり子どもからの需要は下がりました。一方、大人たちの間では美術品としての価値が高まり骨董品が取引されたとの話も聞かれます。
最近は、木の素朴な雰囲気や柔らかな表情が魅力となり愛好家を増やしています。自宅にあるこけしも、いまのブームの影響で高額買取を見込めるかもしれません。