賀集珉平の珉平焼|人々を惹きつける今では出せない貴重な色彩
賀集珉平は、江戸時代後期に活躍した陶芸家のひとりで、「珉平焼き(みんぺいやき)の創始者です。
阿波徳島藩の御用窯として名を馳せた珉平は、今でも愛好家やコレクターをはじめ、世界中の陶芸ファンから高い評価を得ています。今回は、賀集珉平の作風や、その魅力についてご紹介します。
賀集珉平とは
賀集珉平(かしゅう‐みんぺい)は、1796年淡路島で誕生した陶芸家です。生家は醤油の製造業を営んでいましたが、島民の生活向上のための島内産業を興そうとして製陶に従事しました。
京焼の陶工・尾形周平と出会い、作陶への思いが一致したことにより弟子入りし作陶を学びます。その後、淡路の池内村(現・洲本市)にて良質な白土を使い、試行錯誤の末に「珉平焼(みんぺいやき)」を製陶します。独創的な作風と色合いが話題を呼び、新進気鋭の作家として名を馳せることとなったのです。
1839年には藩窯の許可が下り、御用陶器師・勝瑞珉平の称号が与えられます。珉平焼は日本国内の販路拡大はもちろん、海外に輸出されるなど大きく発展しました。国内外にファンの多い珉平焼は、買取市場でも多くの人気を集めています。
しかし、原料となる白土が取れなくなったことや、後継者がいなかったことから珉平焼は廃れてしまいました。
賀集珉平の作風とその魅力
珉平焼は、淡路島の南端の村、三原郡伊賀野村(現・南あわじ市北阿万伊賀野)で開窯した陶器窯です。後に尾形周平を淡路に招き、京焼のデザインや釉薬調合の技術を作品に取り入れます。
珉平焼は黄南京や緑釉、柿釉などを用いた色鮮やかなものが多く、黄・緑・赤色が特徴的です。
代表作に「三彩龍文小皿」、「三彩鳳凰草花文大皿」、「色絵花鳥台鉢」などがあります。いずれも色鮮やかな黄色や緑が目を引く、華やかな作品です。珉平焼の釉薬には鉛を原料とするものが使われているため、独特の発色が楽しめます。
現在の法律では、食品用陶器に鉛を含む釉薬の使用が禁止されているため、今では出すことのできない貴重な色となっています。
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