夫婦で守った茶道の歴史│永樂得全と永樂妙全の活躍
永樂家は、室町時代より続く、由緒ある茶陶の家系です。14代目の永樂得全とその妻の永樂妙全は夫婦で活動した作家として知られています。こちらでは、永樂得全と永樂妙全の来歴と作風についてご紹介します。
永樂得全と永樂妙全
茶道具を代々制作している「千家十職」。そのなかでも、土風炉・焼物師を担当しているのが「永樂善五郎」です。京都では有名な家督として現在も続いています。
12代目永樂善五郎の長男として生まれたのが永樂得全です。1871年には14代目永樂善五郎を襲名しています。茶道の衰退が目立つ時代において、菊谷窯の開窯、海外の博覧会への出典など、それまでにないアプローチで茶道の発展に貢献しました。さらには三井家や鴻池家などの財界人の支援を得るなどの行動をおこし、結果的には、一時困窮を極め、中断していた永樂家としての家業再興していた家系の持ち直しに成功しています。
永樂妙全は得全の妻であり、永樂善五郎の名を残すために助力を行いました。また、彼女自身も陶芸家として多くの作品を残しています。善五郎を襲名することはありませんでしたが、得全と同様に評価が高い作家です。
永樂得全と永樂妙全は、残した作品だけではなく、夫婦の絆で新しい茶道の世界を切り開いたことからも高く評価されています。特に、得全の没後も永樂楽家の存続に尽力した妙全の貢献は大きいといえるでしょう。
対照的な夫婦の作風
永樂得全の作風は、父である12代目よりも祖父である11代目の影響を強く受けているといわれています。男性的で豪快という評価が大半です。さらに、斬新な絵付けも特徴だといわれており、アメリカの博覧会へ出品されるほど海外での評価もありました。
得全は「呉須赤絵」を得意としていました。「呉須赤絵」は、中国に伝わる陶磁器の様式の一つです。赤を主体として、黄、緑、青の釉色をアクセントとして使用します。
妙全は、夫とは対照的な女性らしい優美な作風が特徴です。永樂善五郎の名を襲名しなかったことから、良い意味で名に縛られず、自由な発想で作品を作っていたことが伺い知れます。ほかの善五郎作品と比較すると、世界観のに違いが明白です。
永樂得全と永樂妙全の作品の買取依頼は「なんぼや」まで
永樂得全と永樂妙全の活躍や評価についてご紹介してまいりました。作品単体の魅力だけではなく、夫婦で茶道の再興に貢献したというエピソードからも人気の作家です。永樂得全と永樂妙全の作品は骨董の茶道具市場でも高値で取引されています。「なんぼや」でも、永樂得全と永樂妙全の茶道具の買取を行っています。ご家族で受け継いできた茶道具の処分をお考えであれば、一度「なんぼや」に査定をご依頼ください。