鼈甲(べっこう)道具類

鼈甲の道具類には意外なものも含まれる、幅広い骨董品ジャンル

鼈甲はウミガメの一種であるタイマイの甲羅で、あめ色の地に黒い斑(ふ)が入った模様は、とても美しいものです。
さらに熱を加えると自由に曲げることもでき、素材として得難い特徴を持っています。
それゆえに、古くから道具の表面を飾る装飾の材料として重宝されてきました。
また日本独特の歴史によって、さまざまな道具に用いられるようになったのです。
では、実際にはどのような作品があるのでしょうか。
鼈甲を使用した道具類について、ご紹介いたします。

鼈甲道具類とは

実は鼈甲道具類は「鼈甲を素材(の一部)に使用している」という1点において共通した、すべての道具が該当するといえます。
他の共通項があるとするなら「高価な品」といった点くらいでしょうか。
それは鼈甲の持つ特徴である「主材料としてよりも装飾素材として優秀」「希少性の高さ」の2点が理由になります。

鼈甲道具類が多岐にわたる理由

もともと柔らかく、さらに熱を加えると自在に曲がる鼈甲は、耐久性という面では強い素材ではありません。
ですから、ジュエリーや眼鏡のフレームのようなそれほど耐久性を要求されない装飾品や道具以外では、主な材料としてではなく装飾部分の素材として用いられました。
たとえば道具の表面に薄く貼り付けることや、螺鈿(らでん)細工で埋め込むなどが挙げられます。
それゆえに鼈甲道具類は、ほとんどの場合「絶対に鼈甲でなくてはならない」理由はありません。
伝統工芸品として鼈甲を使用することが前提であったり、豪華さや希少性を演出したり、その独特の色彩がデザイン上必要だとして製作者が判断したりするなど、需要と必要に応じて使用されるオプションのような素材です。
そのため、一部でも鼈甲を使用しているものは、すべて鼈甲道具類といえるのです。

また、鼈甲は古来贅沢品と考えられてきた素材でした。
鼈甲工芸品が発達した中国においても日本においても、鼈甲の原材料となるウミガメの一種タイマイは捕獲できないからです。
タイマイは亜熱帯海域に生息しており、中国も日本も輸入に頼らざるを得ませんでした。
だからこそ古来鼈甲を用いた道具類は、非常に高価な品として扱われてきたのです。それは最も流行った江戸時代はおろか、現在においても変わりません。

以上の点から、鼈甲は高価な装飾素材としてさまざまな道具を飾ってきました。逆にいえば、鼈甲の装飾を施せる道具は、すべて鼈甲道具類となりうるということになります。

実際の鼈甲道具とはどんなものがあるのか

それでは、実際に鼈甲が用いられている道具にはどんなものがあるでしょうか。

まず代表的なものは眼鏡のフレームでしょう。古くは、徳川家康公が所有していた手持ちの鼻眼鏡(目器)が有名です。現在においても鼈甲のフレームは、最高級品に数えられています。
鼈甲が日本に入ってきたばかりの頃のものを見てみますと、以下のようなものがあります

  • 楽器類:琵琶(びわ)、和琴(わごん)、阮咸(げんかん)
  • 仏具法具:如意、経台
  • 日用品:鏡、小箱
  • 文具:刀子(とうす)

江戸期から現在にかけて、国内で鼈甲細工が盛んに行われるようになると範囲はさらに広まっていきました。

  • 実用小道具:印籠、煙草入れ、扇子、耳かき
  • 日用品:化粧道具、箱物
  • 家具:文机(ふづくえ/ふみづくえ)、飾り置物
  • そのほか:望遠鏡、香合(こうばこ)、茶杓(ちゃしゃく)、笛の露通し(唾とり)、琴爪、ピック

これはごく一部であり、ある書物では実に100以上の品物が鼈甲製品の例として挙げられています。

以上のように、鼈甲はさまざまな道具を美しく飾ってきたのです。

鼈甲道具類の歴史

鼈甲道具類の歴史は、中国から始まったとするのが定説です。
その後、遣隋使や遣唐使によって国内に入り、江戸時代になって鼈甲細工が本格的に始まります。明治以降、さらに範囲が広がりさまざまな道具に用いられるようになりました。ワシントン条約によって国際取引が禁止された現在においても、国内在庫をもとにして伝統は受け継がれています。

中国で発達した鼈甲細工

中国では、前漢の時代(約紀元前206年から西暦8年)に鼈甲細工が始まっており、隋唐時代(6~8世紀)には盛んに製作されていたと見られています。
この時代の道具類は、筵(むしろ)、梁(はり)、寝台、笛、筆などが挙げられます。
すでに隋唐時代には鼈甲張りの技法が完成しており、小箱など工芸品の表面に鼈甲を薄く張り付けた装飾が行われました。
また透明性のある鼈甲板の内側に黒漆で図案を描き、外側から透かし見る「透かし張り」ともいえる技術も用いられています。
今から1200年以上前に、すでに高度な鼈甲細工技法が用いられていたのです。

日本における初期の鼈甲道具

前述したように日本に鼈甲が入ってきたのは、遣隋使や遣唐使が派遣されるようになってからといわれています。
6世紀後半から7世紀初頭のものと思われる、奈良県桜井市の上之宮遺跡から鼈甲の遺品が出土しており、これが現在のところ日本最古の鼈甲製品です。第一回遣隋使が派遣されたとされるのは西暦600年頃ですから、時期的にほぼ一致します。

この時代から安土桃山時代にかけて、日本の鼈甲細工の詳細はよく分かっていません。
正倉院に収められている宝物の中には鼈甲を用いているものがありますが、輸入されたものなのか、国内で製作されたものなのか明確ではないのです。
さらに平安時代以降になると遣唐使の派遣が終わり、国内の鼈甲細工もほとんど確認できなくなります。

ただし、平安中期に編さんされた『延喜式』の中には「玳瑁馬脳」の文字があるため、10世紀前後には公式の儀式で玳瑁(タイマイつまり鼈甲)が使用されていたことは、確実のようです。
鎌倉や室町時代になりますと、鼈甲は他の亀甲とともに薬として用いられていたと考えられています。

鎌倉以降の鼈甲細工は長きにわたって、ほぼ断絶していたといっていいでしょう。
日本において再び鼈甲細工が活発化するきっかけは、安土桃山時代に西洋世界から来た宣教師によってでした。
中国から西洋へと流れた鼈甲と細工技術が、宣教師によって持ち込まれたのです。
江戸期になりますと、主にオランダや中国との貿易によって鼈甲が輸入されるようになります。

江戸期の発展

唯一の貿易港である長崎の出島を通して、オランダと中国から鼈甲が輸入されるようになりますと、その独特の美しさと加工のしやすさから徐々に流通し始めるようになります。
鼈甲の流通ルートは、長崎で入札が行われた後、大阪の唐物問屋へ発送され、さらに江戸など各地へと送られたようです。江戸時代後期になりますと、江戸にも問屋ができるようになり長崎から直接流れるようになりました。
この長崎、大阪、東京の鼈甲流通拠点が、そのまま鼈甲細工の中心地になっていきます。

江戸期に最も発展した鼈甲細工といえば、女性の髪飾りである櫛(くし)、笄(こうがい)、簪(かんざし)でした。鼈甲は銀と並んで最も人気がある素材で、幕府によって贅沢品として禁令がしかれる中でも、その需要は衰えなかったようです。
そのほかでは帯留め、印籠、煙草入れ、耳かき、茶杓といった実用性がある小道具の表面に貼り合わせることや、象嵌(ぞうがん)(螺鈿のように別の素材をはめ込んで作る装飾技法)に用いられています。

明治以降の鼈甲道具類

江戸時代に女性の髪飾りの素材として大いに発展した鼈甲細工の技法は、明治以降には次の段階に進みます。
今まで輸入して国内で消費していた鼈甲を、日本の伝統工芸品として国外に輸出するようになったのです。
そのため、西洋風のデザインを取り入れ、鼈甲道具類の発展はさらに進みました。
大正時代に国外向けに発行された英文カタログ「TORTOISE-SHELL ARTICLES」では以下のようなものが紹介されています。

  • メイク道具(手鏡、ブラシ、櫛、コンパクトミラー、道具一式セット)
  • 眼鏡フレーム
  • 喫煙関係(煙草入れ、灰皿、マッチ立て、パイプ)
  • 鼈甲細工の置物
  • 文房具(ペン、ペン立て、インク吸い、ペーパーナイフ)
  • フォトフレーム
  • ブックスタンド
  • ジュエリー系(ジュエルボックス、ブレスレット、イヤリングなど)
  • 団扇(うちわ)
  • ベルトバックル
  • 小箱、小物入れ

さらに長崎鼈甲商工組合が昭和8年に発行した「美術鼈甲工芸品解攬」には、主な鼈甲製品の例として100点以上もの商品名を挙げています。

このように、明治以降になると鼈甲細工は髪飾りの軛(くびき)から解放されたかのように、さまざまな道具の素材として用いられるようになりました。
江戸期において発達した技法がいかされると同時に、隋唐時代に頻繁に用いられていた透かし張りの技法が、日本でも使われるようになったのも明治以降といわれています。

日本における鼈甲細工の三大生産地

江戸時代の鼈甲流通の拠点となった長崎、大阪、江戸では、それぞれ少しずつちがった鼈甲細工が発展していきました。

長崎鼈甲

最も鼈甲細工が盛んな土地であり、明治以降の輸出品製作でも国内外で高い評価を受けた技術力が特徴です。
また輸出品を作り出してきた応用力の高さから、大型美術品、箱物、化粧具、喫煙具、室内装飾品、食器、文房具など、多種多様な製品を作っているのも長崎鼈甲の魅力でしょう。

大阪(なにわ)鼈甲

ブローチやペンダントといった装飾品の生産が活発で、特に透かし彫りに代表される彫刻技術が特徴です。上方の繊細にして品位ある彫刻表現は、高い評価を受けています。

江戸鼈甲

江戸時代中期から幕末にかけて、鼈甲髪飾りの生産では日本有数の地だったのが幕府の中心地、江戸です。
その流れを受け継いだ江戸鼈甲は櫛、簪、笄など和装品の製作技術が非常に高く、現在でも素晴らしい作品を生み出しています。

今ではこの長崎、大阪、東京が、日本三大鼈甲細工生産地となっています。

まとめ

このように、鼈甲道具は古代中国を発祥地として、日本にも伝わりました。
鼈甲は貴重な素材であることから、江戸時代までは一部の宝物や儀式に使用するような道具にしか用いられていませんでしたが、輸入が盛んになった江戸時代を境にして髪飾りを中心に発展します。
明治以降になると鼈甲細工の目的は、国内消費よりも輸出品にシフトしました。西洋社会へのアプローチのためにさまざまな商品が製作されることで、鼈甲道具の範囲は飛躍的に広がります。
結果、鼈甲道具類は非常に幅広いジャンルとなったのです。

骨董価値のある鼈甲道具類の特徴、条件

非常に幅広い道具が対象になる鼈甲道具類では、骨董品としての条件は単純に「鼈甲が使用されている古く希少性がある品」ということになります。
鼈甲は高価な素材でありながら、美術品としてよりも工芸品として使われてきました。そのせいか、鼈甲細工師として名を残した人物がほとんどなく、国宝や重要文化財であっても製作者が分からないものばかりです。
ここでは有名な文化財の鼈甲道具類を、いくつか例としてご紹介いたします。

玳瑁如意(たいまいにょい)

重要文化財。正倉院宝物の1つで平安時代の作品です。製作者など詳しいことは分かりません。
珍しくすべて鼈甲でできている如意で、非常にシンプルな作りをしています。
如意とは僧侶が意義を正すために用いた法具で、孫の手のような形状をしている道具です。

斑竹玳瑁荘経台(はんちくだいまいそうきょうだい)

重要文化財。奈良時代の作品で、東京国立博物館所蔵。
二枚の板を重ねて作られた経台で、側面に鼈甲が貼り付けられています。

目器(めき)

重要文化財。徳川家康公の遺品の1つで、代表的な古眼鏡です。
斑のない美しいあめ色の鼈甲でできた鼻眼鏡で、久能山東照宮の博物館に収められています。

牡丹に唐草文望遠鏡(ぼたんにからくさぶみぼうえんきょう)

江戸中期の作品で、長崎の望遠鏡製作者である森仁左衛門(1673~1754)の作。
皮、和紙でできており、表面には漆塗りで金模様が入っている豪華絢爛な望遠鏡で、のぞき口に鼈甲が用いられています。鼈甲は贅沢であると同時に肌触りが良い素材ですから、のぞき口には適しているのでしょう。

鼈甲製菊花鉢植棚飾(べっこうせいきっかはちうえたなかざり)

明治39年に、昭憲皇太后が明治天皇へ献上した棚飾。現在は、財団法人鍋島報效会が保有しています。菊の花を鼈甲で表現した飾り物で、木製の鉢に瑪瑙(めのう)が敷き詰められた見事な作品です。残念ながら、こちらも作者不明の工芸品になります。

鼈甲道具類は模造品に注意

このようにすべて鼈甲でできている道具から、ほんの一部分に用いられているものまで、鼈甲道具類に含まれます。
注意すべきは、使用されている部分が小さいほど本物の鼈甲なのか代替品なのか、判別がつきにくい点です。
もともと高価な品だった鼈甲は、江戸時代にはすでに安価な代替品が使用されていました。主に牛の角や馬の蹄(ひづめ)、和甲と呼ばれるタイマイ以外のウミガメの甲羅などが挙げられます。

さらに明治以降は、初期のプラスチックであるセルロイドの鼈甲模造品が大量に出回るようになりました。現在では技術が進んだせいもあり、初心者には一見区別がつかないほど精巧なプラスチックの模造品もあります。
たとえば螺鈿の鼈甲部分が模造品だったとしても、それなりに経験を積んだ者が拡大鏡を用いて観察しない限り、見分けはつきにくいでしょう。

また、名称のややこしさも見極めの困難さに拍車をかけます。
例として「鯨鼈甲」があります。鯨のひげの板状部分を加工したもので、褐色部分が鼈甲とよく似ていることから、この名で呼ばれることが多くなりました。長崎鼈甲細工の技法を参考に、鯨ひげ製の飾り置物が製作された例もあり、鼈甲細工の影響をうけていることは事実のようです。
これはあくまでも鯨のひげを使った伝統工芸品であり、鼈甲の代替品ではありませんが、初心者には名称のせいで混乱の本になってしまいます。

このように、鼈甲の真贋の見極めは経験がないと難しいものです。
鼈甲道具類は信用のおける骨董品店で購入するべきですし、買取に出すときも鑑定力のあるお店を選ばないと思わぬ査定を受けることになります。

まとめ

鼈甲道具類は古い歴史があると同時に、非常に幅広いジャンルでもあります。それは鼈甲の特性上、いろいろな道具類の装飾に使うことができるためですし、また、日本の鼈甲の歴史において、輸出のためにさまざまな道具類への加工が試みられたからでもあります。

また、鼈甲は総じて工芸品の素材として用いられるため、作者名がほとんど残らない点も特徴といえるでしょう。
そのために骨董品としての鼈甲道具類は「鼈甲が使用されていて古く希少性が高いもの」という、とらえどころがない基準になります。
だからこそ、一番大切なのは時代考証と真贋の見極めです。模造品では希少性があるとは、到底いえません。

もし骨董品として鼈甲道具類を売買するなら、信用ができる骨董品店や鑑定力が高い買取業者を選びましょう。それこそが、鼈甲道具類の価値を守る方法です。