木彫刻

保存が難しい木彫刻は、希少性が高く骨董の価値がある

自然木に彫刻を施す木彫刻は、日本において仏教とともに発展してきました。使われる材料や道具、工程さらには歴史などをご紹介し、木彫芸術をご理解いただくとともに、骨董としての価値について考察します。最後に木彫刻や竹彫、果核彫刻(かかくちょうこく)について、芸術的な作品と骨董の価値とを兼ね合わせてご案内します。

骨董としての木彫刻の価値と特徴

木彫刻とは

彫刻は「彫り刻む」と書くことから分かるように、木や象牙または金属など多様な素材を彫り刻み成形することをいいます。一般的には立体的な造形物を彫刻物といいますが、平面板などに彫り込んだものも彫刻のカテゴリーに入ります。

木彫刻では、寺院などの建物や仏像などが有名です。建築物や中の調度品、また仏像などに木彫刻が施され、また祭祀に使われる祭具なども木工芸術の粋が彫り込まれています。このような木彫刻を骨董のジャンルでは「木彫」といわれ、高名で価値の高い品が市場に出てくることもあります。

一般的に骨董は相当年数が経過し、しかも損傷のないものが「了」とされています。さらに作者の著名度や作品に芸術性が付加されていると「優」と評価されています。ただし劣化が著しい木材を使用しているため、経過年数が長い品の場合には保存状態が保たれているだけでも、骨董の価値を認めているものが多くあります。

木彫刻の材質

加工がしやすいという特性が際立っている木材を使った木彫刻は、他の素材に比べると彫れば作れるような気軽なイメージがあります。ところが実際に天然の木材を使いますと、湿気による歪みや害虫による劣化、日光や火気による反りや割れなど、制作中はもちろんのこと完成後も保存管理の難しい素材といわれています。

意外にも取り扱いが難しい木彫刻ですが、素材によって若干の違いがあります。木彫刻に適しているのは、経年の変化が少ない目が細かくて硬い材質のものです。また仏像彫刻で最良といわれているのは、白檀(びゃくだん)といわれる木材です。

残念ながら白檀(びゃくだん)は日本で採れませんので、代替えの香木(こうぼく)が使われています。当初(飛鳥時代)は、樟(くすのき)が使われていましたが、やがて檜(ひのき)にかわり、榧(かや)や桜などの硬い木、さらに軟らかい材質ですが桂(かつら)なども使われています。

木彫刻の工程

木彫刻は見る人によって価値観が違うといわれますが、その端的な例が彫り方にあります。一般的に高評価を受けるのは、荒削りの彫刻品よりも手の込んだ細工を施したものですが、なかには一本の刀で削る「一刀彫」という技法のものは高い評価を受けることがあります。

このような細部の彫り込みよりも、仏像に思いを込めた作品は高い評価を受けます。特に修行僧などが修業の一環として作ったものは、その制作期間を考えれば高評価が当然のことといえます。

そもそも木材を彫刻するときは、刃物だけではなくたくさんの道具を必要とします。完成時のサイズによって違いはありますが、最初に鋸(のこぎり)で不要な部分を切り落とし外形を整えます。そのあとで鑿(のみ)と玄翁(げんのう)を使って荒削りし、彫刻刀や無垢打ち小刀などを使って仕上げていくことになります。

ちなみに仏像の場合には、仏像本体以外にも仏像の台座や、仏像の後ろに付ける光背も骨董では需要な評価対象となります。

国内外の価値ある木彫刻の歴史

日本における木彫刻の遍歴

木を加工した歴史は、人類が木を利用したときまでさかのぼることになります。日本国内での木彫刻の歴史も同様だと思われますが、一定レベルの木彫刻がもたらされたのは「仏教来伝(公伝)」からです。

正確には、公伝以前にも私的仏教が信仰され、仏像はあったかもしれません。しかし歴史上仏教の起源は公伝よりスタートしていることから、公伝と同時に持ち込まれた木彫刻がその起源といえます。

公伝によってもたらされた仏教が浸透してきますと、大陸から伝承した製作技術を超えるオリジナルな技法で、仏像を作ることができるようになります。やがて当時としては最高峰の彫刻技術が確立され、独自の木材を使って仏像や仏具が作られるようになります。

ところが偶像崇拝を否定する禅宗が台頭したことで、それまで発展してきた仏像彫刻は徐々に衰退していき、仏師たちは寺社の欄間や柱など建築物の彫刻へ生業を変更していくことになります。

武士の時代が安定期に入りますと、伝統工芸となった木彫技術はますます高まり、日光東照宮に見られるような後世に残る芸術的な作品が生み出されていきます。木彫と漆塗りの技術が融合したことで、強度と保存がきく木製品が作られることになります。

また技術の進化によって茶道などの道具類が作られるようになり、さらに身分にかかわらず木彫刻の技術が求められるようになって広まっていき、やがて「木彫文化」の時代を迎えることとなります。

開国以降、近代の先進文化が入ってくると海外の文化と融合したハイカラ文化が花開き、西洋建築と融合した日本式洋風建築が盛んになって、趣向を凝らした木彫刻を織り交ぜた芸術的な建築が、日本の遺産として今も数多く残されています。

世界の木彫刻について

原始時代から、世界中で木に彫刻を施してきました。現存する最も古い木彫物は、今から11000年ほど前に作られた『シギルの偶像』といわれるものです。発見されたのが低温地で名高いロシアのシベリアで、しかも運よく泥炭地に埋まっていたことで、木材が空気から遮断され劣化せずに発掘することができたようです。

またアフリカ大陸においては、連綿と受け継がれた木彫技術や独創性に満ちたデザインが評価され、現代アートにまで影響を与えるものとなっています。またヨーロッパ・アジア圏では、キリスト教社会において造られた聖堂や母子像などが今も残されています。

そして日本との関連深い中国の木彫刻は、やはり先史時代よりはるか以前から行われていましたが、骨董の価値ある芸術的な木彫刻といえば先秦時代以降のものが有名です。このころの中国では、すでに浮き彫りや透かし彫りなどの技術が発達していて、現在の立体彫刻の技術も確立していたようです。

当時の建築物や家具に多用され、木彫職人は技術を発揮し豪華に仕上げています。また、建築系の木彫職人と家具系の木彫職人の分業が確立していたのも、このころからです。骨董としての仏像彫刻は、中国で仏教が隆盛を誇った六朝時代、そして日本とも結びつきが強い隋や唐の時代に多くの木製彫像が生まれ、現在まで希少性の高い品が残されています。

ただ仏像彫刻で最も高い評価を受けるのは宋の時代に作られたもので、特に伝世の観音像は仏姿や面立ちなど、木彫技術の粋を集めた秀作といわれています。

希少性の高い木彫刻は、骨董の価値を高める

骨董として価値を決める、木彫の品質

骨董の価値から見ると、日本製の木彫刻は象牙製やブロンズ製とともに、非常に魅力的なものとなります。特に大事に保存されてきたであろう木製仏像は、保存状態の良いものが多く、市場でも高値で取り引きされることが多いようです。

一方で保存の状態が良くない木製仏像は、おのずと価値が低く評価されることが多くなりますので、一義的には現存する仏像の品質状態が骨董としての価値を左右することになります。

また木の材質も、骨董としての価値に大きく影響を与えます。仏像の多くは檜(ひのき)や桜など国産の木材を使った作品となっていますが、なかには輸入した最高級木材の「白檀」を使っているものもあります。

最高級の白檀はインド原産のものですが、アジア圏以外でも白檀は生育していて、南方のフィジーやオーストラリアなど広範囲に産出していることになります。そのなかで『老山白檀』と呼ばれるインド・マイソール産のものが最高品質とされ、骨董では使われているだけで高い評価を受けることになります。

木彫刻の価値を高める種類

日本製の木彫刻の場合には、制作された年代や有名な制作者が作ったものは、骨董の評価に大きく影響を与えます。また希少性を大事にする骨董ならではのケースとしては、数々の
戦火を免れた作品が希少価値を高めてくれます。

もちろん白檀のような高級材を使ったものや、保存状態が良いものは高く評価されますし、ほかにも作品のサイズや寄木造りか一本造りかによっても評価に違いがあります。また白木のものは少なく、漆(うるし)などの上塗りの状態によっても変動することがあります。

海外製の骨董の場合には、仏像や人物像はもちろんのこと、自然木に融合させた動物なども美術品として高い評価を受けています。また木製の柱時計や置き時計などは、ヴィンテージの価値とともに木彫刻のすばらしさが付加価値を付けることになります。特に、アールヌーボー調のアンティーク品は市場価値が高く、木彫刻本来の価値を一層高めることになります。

希少性の高い木彫刻と骨董の関連性

木彫刻のなかで骨董としての価値を認める、最も一般的な評価基準は「白檀」などの高級木や、希少価値の高い材料が使われていることです。最高級の材料を使っていますのに、平易なデザインや技術が満たない彫刻を施すことは少ないわけです。

つまり良いものを使っている以上、それなりのレベルに仕上がっていると思うのが普通で、骨董においてもそれなりの評価を得ることになり、また年代物であれば作者などを調べる条件のひとつにもなります。

また木彫のなかで特に仏像や置物などに見られる宝石・貴金属などとの組み合わせは、価値を高めることになります。仏像製作の技法で「寄木造り」の場合、「玉眼」と呼ばれる目に宝石を埋め込んだり額の中央の「白毫(びゃくごう)」に宝石を用いたりすることがあります。

このような彫刻以外の条件によっても、骨董としての価値は高まることになります

有名な木彫刻・竹彫(竹刻)・果核彫刻を見分けるポイント

有名な木彫刻について

日本国内には有名な木彫建築、仏像、家具がたくさんあります。建築物として有名なのは東照宮の「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿です。そのほかで有名なのは「寅さん」の柴又帝釈天(題経寺)は、「彫刻の寺」といわれるほどすばらしい彫刻が施されています。

仏像では平安時代以降、さまざまな木彫仏像が作られます。良い木材が採れる日本の特性をいかし、また木が持つ仏像に適した加工性の良さもその要因といわれています。さらに分業制を用いて原木のサイズにとらわれない「寄木造り」の仏像が盛んとなり、特に東大寺の「運慶」作が独創的な作品として有名です。ちなみに往時の作品のほとんどは、その後の戦で焼滅しています。

一方で単体の木を削る「一木造」は、それ以前から信仰されていた霊木信仰を起源に、一本の木に魂を封じ込めるという日本的思想のもとで、さまざまな人たちによって作られます。有名なものとしては、新薬師寺の本尊として祀られている国宝「木造薬師如来坐像」が有名です。仏像本体もさることながら、見事な彫刻技術を施した光背が特徴的な仏像です。

有名な竹彫について

竹彫芸術発祥の中国では、竹の表面に高浮き彫りと浅浮き彫りを組み合わせた彫刻を施す竹彫師が活躍します。当初は呉の国周辺で発達しますが、明の時代(16世紀)以降は中国国内ばかりか、日本など海外にその技術が広がっていきます。

時代が進むと濃淡を表す浮き彫りは「一層・二層」から、やがて「五層・六層」へと進化し、複雑な彫刻はまさに芸術品として称されることとなります。満州族が治めた清の時代になると、名匠「嘉定」によって技法は確立しますが、あまりに高度な技術を継承できなかったため、その後衰退していきます。

ところが時代が進みますと、この竹彫に金石技法をとり入れ文字を彫り込んで、絵画のような作品を作り再発展させていきます。清朝末期、ラストエンペラーのころになると竹幹の内側「竹黄」を材料にして、希少価値の高い作品が次々に作られていき、今も価値ある骨董としてひかれる品となっています。

有名な果核彫刻について

当初は果物などの種に彫刻を施して、観賞用や装飾用に使われたようです。梅・桃・サクランボ・くるみなどさまざまな種を材料にして、文字や花鳥、また人や動物などを彫り込んだものです。

果核で彫刻された品は、主に「下げ飾り」として使われています。下げ飾りとは、扇子の房や巾着の紐などに付けるお洒落アイテムで、一昔前の鈴と同じようなもので、男女を問わず身につけていました。

果核彫刻で特に有名なのは、木の実に彫り込んだ数珠です。今も使用されている代表的な品で、しかも仏教徒においては最高ランクの数珠とされているものです。材料とするのは
「金剛菩提樹」の実を使ったもので、果核彫刻の品としても最高級に数えられる品が多いものです。

これは仏教の開祖であるお釈迦様が、悟りを開いたところが菩提樹の下だったことに起因しています。仏教に深いかかわりのある菩提樹の実で作られた数珠は、今も最高級の品とされています。もちろん仏教徒においては、菩提樹の実に彫刻を施したものはさらに価値が高いものであり、それは骨董市場においても需要の高い最高級品となるわけです。