浮世絵

西洋絵画に大きな影響を与えた、大胆・簡素な構図が魅力の浮世絵

浮世絵には、庶民の生活や風景、人気歌舞伎役者や美人女性が写実にとらわれない、自由で大胆な構図や簡素な構図のなかに簡潔な色使い、あるいは逆に極彩色の色使いで描かれています。
西洋絵画に見られないこの日本独特の表現方法は、単に対象を正確に写実した絵画よりも、はるかに強いインパクトを見る者に与え魅了します。
日本が世界に誇れる文化の1つ浮世絵について、骨董価値の高い作品や作家の特徴、歴史などを詳しく紹介します。

浮世絵とは

浮世絵の種類、描かれたテーマ、制作工程の技術の高度さなど、浮世絵が海外の有名作家に与えた影響などについて説明します。

浮世絵とは、版画と肉筆画

浮世絵とは、18世紀の江戸時代に発達し、庶民が興味を持つ身近な題材が描かれた絵画です。
浮世絵は版画であることから、1枚の木版画から多数の浮世絵を大量生産できます。複製された浮世絵はすべてが原画となるため、油絵や水彩画のように原画は1点だけではなく複数の原画があることになります。複製できることから安価に制作でき、多くの庶民に購入されました。
当時の浮世絵は、現代のプロマイドやポスターの感覚で部屋に飾って鑑賞するために人気がありました。「浮世」には、「現実」または「現代風」の意味があります。

浮世絵は、一般的に木版画を刷って制作されますが、油絵や水彩画と同じく1枚しか存在しない絵があり、これは肉筆浮世絵と呼ばれています。

浮世絵で描かれた主なテーマ

浮世絵で描かれたテーマには、さまざまなものがあります。

1.美人画

初期の頃は遊郭の遊女が多く描かれましたが、江戸の町の美人で評判の娘たちも描かれるようになっていきます。しかし、幕府によって町の美人で評判の娘たちを描くことは、風紀が乱れるという理由で禁止され描かれなくなります。
全身が描かれた美人は、8頭身のスタイルをしています。庶民に購入されることを前提とした浮世絵に描かれている美人は、当時の庶民の憧れを表しています。面白いことに、描かれた顔は似た顔をしています。

2.役者絵

当初は、1人の歌舞伎役者では芝居全体、あるいは芝居小屋の風景などが描かれましたが、次第に特定の役者に庶民が魅力を感じるようになるとともに、その庶民の期待に応えるように役者1人を描く浮世絵のジャンルができ上がっていきます。
美人画と同様に、初期は同じような顔の役者絵でしたが、徐々にそれぞれの役者の顔に似た似顔絵も描かれます。また、顔だけを大きく描いた役者絵も現れ始めます。

3.風景画・名所絵

江戸時代の庶民とって、旅は簡単にできるものではありませんでした。そのため、見知らぬ土地の風景には、憧れがあったものとも考えられます。そのニーズに応えたのが、葛飾北斎の「富岳三十六景」や、歌川広重の「東海道五十三次之内」で有名な風景画です。

4.そのほか

美人画、役者絵、風景画以外にも、相撲力士を描いた相撲絵、歴史上の武士を描いた武者絵、花や鳥、虫、魚などの動植物を描いた花鳥画、男女の秘め事や半裸の女性を描いた春画・あぶな絵、子ども向けのおもちゃ絵など、実にさまざまなテーマで描かれています。

浮世絵が完成するまでの工程

浮世絵は、大きくは以下の3工程を経て制作されます。

1.下絵を描く

絵師が墨の線で絵の輪郭を描くとともに、色の指定や細部の彫りや刷りの処理方法についての指示を行います。
色指定は、以下の彫りの工程で制作される墨板という版木でいったん刷られ(校合刷り)、それを基に行われます。また、修正点があれば修正が指示されます。

2.下絵のとおりに版木を彫る

彫り師は、下絵の線に忠実に版木を彫っていきます。
まず黒1色の輪郭線を刷るために、墨板(主版)という版木を彫ります。次に、刷る色ごとに分けた版木を彫り、刷る色の数だけ色板(色版)が作られます。
彫る版木は色の数だけ必要なので、通常は何人かで分担して彫られます。もっとも重要な部分、彫るのが難しい部分は熟練した彫り師が作業し、そうでない部分は技術のあまりない若い職人が担当します。
制作される版木は、複数になることから色がずれないようにするため、版木の同じ位置に「見当」と呼ばれる目印が付けられます。

3.絵の具を付けて紙に刷る

絵師が立ち会って、刷り師がそれぞれの版木に色を付けて紙に刷り重ねていきます。各版木には色の位置のズレが生じないように、同じ位置に印が付けられています。
刷りは、「淡い色から濃い色の順に」「小さな面積の場所から、大きな面積の場所の順に」の原則で行われます。
位置合わせや「ぼかし(グラデーション)」を入れて刷るには、高度な熟練の技が求められます。「ぼかし」は絵の具の量の乗せ方と微妙な刷り加減の技術があって、きれいにでき上がります。

浮世絵の制作に関わる版元、絵草子屋、名主とは

浮世絵そのものは、絵師、彫り師、刷り師の分業制で制作されることは説明しました。
浮世絵の制作企画から流通までには、絵師、彫り師、刷り師以外に重要な役割を果たす以下の関係者がいました。

1.版元(絵草子問屋または地本問屋)

版元とは、絵師から見ると浮世絵の制作を依頼してくれる発注依頼者あるいはプロデューサー、書籍でいえば、作家に本の製作を依頼する出版社・書店にあたります。
版元は絵師に対して、絵師の描きたい絵ではなく庶民が求めている売れる浮世絵の制作を依頼し、でき上がった浮世絵の販売を行います。そのため、描かれる絵の表現内容は版元の意志が強く働き、絵師の意志には一定の制限が加えられていました。

企画・制作・販売のすべてを行う絵草子問屋と地本問屋に対し、規模の小さく販売のみを行う絵草子屋もありました。現代でいう書店にあたります。

2.行司・名主

行司・名主とは、浮世絵の内容が適切かどうかの自主規制や、浮世絵制作・販売の権益を守る検閲機関です。
当初は、浮世絵販売に関係する業者の自主規制で始まりましたが、後に幕府の検閲機関に代わっていきます。
検閲は、すべての浮世絵について行われたのではなく、1790年頃から始まります。検閲で押印される印の形状が年代によって異なるため、浮世絵の制作時期が印から判別できます。

浮世絵の絵画として芸術性、版画技術の高度さと、当時の価値

浮世絵は下絵を描く絵師だけが名前が出て注目を集めますが、絵師だけでなく、彫り師、刷り師も優れていなければ、芸術的に価値のある浮世絵はでき上がりません。

浮世絵では、絵師の描く絵画の芸術性の高さに加えて、1ミリ程度の間隔の中に髪の毛を数本程度も彫り分ける彫り師と、その細く彫られた線を目詰まりさせることなく刷る刷り師の高度な工芸性は、高く評価されています。
しかも髪の毛の場合、その柔らかさもはっきりと伝わってくるほどの繊細な表現力をもって彫られています。
さらに驚くことに髪の毛の黒さが、細い部分はやや薄く、太い部分は濃く刷り分けられています。

これらの芸術性、工芸性に秀でた浮世絵は、現代では高価なもので数百万円の価値で取引されています。さらにもっと高額になると、2016年6月にパリで行われたオークションでは、喜多川歌麿の画集「歌撰恋之部」の中の「深く忍恋」という浮世絵が、約8800万円もの高値で落札されています。
しかし、当時の江戸の庶民に販売されていた価格は、現代の家計価値に換算して数百円と推測されています。これらの浮世絵が芸術品ではなく、消耗品感覚で制作されていたことに驚きます。

浮世絵の価値に気づかなかった日本は、江戸時代に輸出する陶器などの壊れやすいものを保護するために、浮世絵を新聞紙代わりにするというもったいない使い方をしていました。
しかし、そのことが浮世絵の絵画としての芸術性の高さを世界で認めてもらえるきっかけとなったことは、幸いであったかもしれません。そうでなければ、浮世絵は保存されて今に残ることはなかったかもしれません。

浮世絵が海外に与えた影響

1867年のパリ万博で、日本は初めて江戸幕府、薩摩藩、佐賀藩が参加。日本のブースはヨーロッパで大人気となり、ジャポニスム・ブームが巻き起こりました。
なかでも浮世絵はヨーロッパになかった大胆で簡素、斬新な表現と、浮世絵制作の日本人らしい繊細、精密な超絶技巧でした。ヨーロッパ人は、浮世絵収集に熱中し、日本から大量の浮世絵が安く輸出されました。

印象派として世界的に有名なゴッホ、ルノワール、ゴーギャン、モネ、マネ、ドガ、ロートレックなどの画家に、浮世絵は強い影響を与えます。
それまでのヨーロッパの絵画は、宗教や戦争、あるいは貴族の肖像が暗く重々しく写実的に描かれていました。
しかし、浮世絵に描かれた庶民の日常を描いた自由で大胆、簡素で写実にとらわれない自由な画風、明るい色彩に、ヨーロッパの画家や庶民は大変な驚きを受けました。

そして、今まで主流であった写実主義から、上述した画家たちは脱却していきます。そのため、よく浮世絵は「印象派の画家に影響を与えた」といわれますが、正確には「後に印象派となった有名な画家に影響に与えた」というべきなのです。
日本の浮世絵は、ヨーロッパの画家に刺激を与えたというレベルではなく、ヨーロッパ絵画の流れを変えてしまったというほどの大きな影響を与えました。

浮世絵の歴史

浮世絵の歴史について説明します。

浮世絵の始まりと創始者

浮世絵の源流は、江戸時代初期の大和絵の絵師で織田信長の家臣・荒木村重の子、岩佐又兵衛であるといわれています。その後、岩佐又兵衛の画風を引き継ぎ、突き詰めた菱川師宣は浮世絵版画の創始者とされています。
菱川師宣は、1658年~1673年頃に活躍し、記念切手でも有名な「見返り美人」を描き「美人画の創始者」とも呼ばれます。

浮世絵の種類と、多色で芸術性の高い浮世絵への発展

浮世絵は当初、墨一色で刷られ「墨摺絵(すみずりえ)」と呼ばれました。その後、墨一色の版画に手で色を付けて制作されるようになります。
手で色を付けた浮世絵は、色の付け方によって「丹絵(たんえ)」、「紅絵(べにえ)」などと呼ばれます。これらは、1700年代の初め頃から、2、3色の色が付けられました。

手で色を付けるのは、大量に制作するには時間と手間がかかることから、彩色も刷ることで行う「紅摺絵(べにずりえ)」が誕生します。
「紅摺絵」で色数は3、4色になりましたが、まだまだ少なく、また制作技術も低く、濃淡やグラデーションが付けられず表現力に欠けた浮世絵でした。
この頃から絵師、彫り師、刷り師の分業制が確立していきます。

その後、制作技術の開発が進み、色が鮮やかで多色刷りの浮世絵「錦絵」が誕生しました。
この多色刷りが可能になったのは、異なる版木に位置合わせのための「見当」を付けたことでした。「見当」の位置を合わせることで、色ズレのない刷りができます。
この多色刷りを完成させたのは「鈴木春信」で、多色刷りの浮世絵が中国で作られる錦織の布地のように美しいことから、「錦絵の創始者」とも呼ばれます。

浮世絵が人気となった理由

江戸時代にはいって長く続いた戦乱が収まり、経済が発展し庶民の生活に安定が見え始めると、ゆとりのあった庶民を中心に明るく生活しようという機運が高まります。この機運は、当時の画家にも影響を与え、当時のごく一部の富裕層の公家や武士の依頼で絵を描くのではなく、多くの庶民が興味を持つ美人や役者、そのほか日常生活をとらえた絵画を描くようになります。

このような時代背景に多色刷りの版画の技術も完成し、大量生産にして安く販売できることや、浮世絵師をうまくプロデュースする能力に優れた「蔦屋重三郎」という人物が現れて、浮世絵は大きく発展していきます。
「蔦屋重三郎」は、現代でいえば、アイドル歌手や若手俳優をうまくプロデュースして世の中に売り出すように、浮世絵の絵師を育て上げその浮世絵を世の中に売り出しました。

こうして、多才で優れた絵師とともに彫り、刷りの技術も完成し世界に誇れる日本の絵画文化が全盛期を迎えます。
ただ、現在の日本では浮世絵の需要が減少し、浮世絵の高度な彫り、刷りを行える技術者が不足し後継者も少なく、浮世絵制作の存続が危機的な状況なのは非常に残念なことです。

骨董価値のある浮世絵の特徴・条件

浮世絵の骨董価値は、「作家(絵師)」「人気のテーマ」「初刷り」「刷りの状態」「保存状態」「希少性」で決まります。

有名作家(絵師)

有名作家(絵師)として、4大浮世絵師にあげられる「東洲斎写楽」「喜多川歌麿」「葛飾北斎」「歌川広重」。4人に加えて6大浮世絵師にあげられる「鈴木春信」「鳥居清長」、さらに7大浮世絵師にあげられる「歌川国芳」らの浮世絵には、高い骨董価値が付きます。

初刷りの浮世絵

浮世絵は、最初に200枚程度が刷られ、これを初刷りと呼びます。
初刷りは、絵師、彫り師、刷り師ともにチェックが厳しく、刷りの状態の良いものが作品として世の中に出るために高い骨董価値があります。
ただし、初刷りということは浮世絵を見ても明確に判別できないので、専門家による鑑定が必要です。

初刷りの浮世絵は、人気が高く売り切れれば増刷されます。増刷されるごとにチェックは甘くなること、および版木が増刷によって摩耗していくため、刷りあがりの品質が徐々に落ちていくことから骨董価値が下がっていきます。

人気のテーマ

葛飾北斎の富士山を題材にした「富嶽三十六景」シリーズや、歌川広重の「東海道五十三次」の名所を描いたシリーズなど、それぞれの作家が得意にした役者や美人がテーマの浮世絵には、高い骨董価値があります。

保存状態

浮世絵は、保存の状態によって、汚れ、破れ、変色、欠損、シワ、擦り切れ、染み、カビなどが生じ、どんなに有名作家や人気のあるテーマの浮世絵であっても骨董価値が下がります。
骨董価値のある浮世絵は、修復することで修復費用以上に骨董価値を高めることが可能です。

希少性

浮世絵の価値があることが分かってから、長い年月が経過しています。有名な作家の作品は現存している数が分かっているので、その数が少ないものほど高い骨董価値があります。

また、浮世絵は大量に刷られて同じ作品が多数存在する版画が有名ですが、初期の頃は油絵や水彩画と同じように1点だけしかない肉筆の浮世絵があります。1点しか存在しないので高い骨董価値があります。

有名な浮世絵

有名な浮世絵としては多数ありますが、特に有名な作家の有名作品について紹介します。

東洲斎写楽の作品

  • 「二代目瀬川富三郎の大岸蔵人の妻やどり木」
  • 「二代目嵐龍蔵の金貸石部金吉」
  • 「三代目佐野川市松の祇園町の白人おなよ」
  • 「三代目瀬川菊之丞の傾城かつらぎ」
  • 「二代目嵐龍蔵の不破が下部浮世又平」
  • 「八代目森田勘弥の由良兵庫之介信忠」 など

喜多川歌麿の作品

  • 「寛政三美人」
  • 「ビードロ(ポッピン)を吹く女」
  • 「江戸の花 娘浄瑠璃
  • 「当時全盛美人揃 越前屋内唐土」
  • 「娘日時計 未ノ刻」
  • 「相合傘」
  • 「高島おひさ」 など

葛飾北斎の作品

  • 「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」
  • 「冨嶽三十六景 凱風快晴(赤富士)」
  • 「富嶽三十六景 山下白雨(黒冨士)」
  • 「千絵の海 総州銚子」
  • 「下野黒髪山きりふりの滝」
  • 「美濃国養老の滝」 など

歌川広重の作品

  • 「東海道五十三次之内 庄野」
  • 「東海道五十三次之内 鎌原」
  • 「東海道五十三次之内 箱根 湖水図」
  • 「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」
  • 「名所江戸百景 亀戸梅屋敷」 など

鈴木春信の作品

  • 「夕立」
  • 「夜の梅」
  • 「雨中夜詣」
  • 「雪中相合傘」
  • 「梅折る美人/梅の枝折り」
  • 「水売り」
  • 「お仙の茶屋」 など

歌川国芳の作品

  • 「忠臣蔵十一段目 夜討之図」
  • 「宮本武蔵の鯨退治」
  • 「国芳もやう正札附現金男 野晒悟助」
  • 「鼠よけの猫」
  • 「金魚づくし 百物語」
  • 「金魚づくし 酒のざしき」 など