岡田 謙三(おかだ けんぞう)

岡田作品独自の世界を確立したユーゲニズム

東洋的装飾性と叙情性をいかした抽象作風により、ユーゲニズム(幽玄主義)と称せられ、国際的評価を得た洋画家が岡田謙三です。上品で優雅な作風は、海外でも高い評価を受けています。

1902年9月28日、神奈川県横浜市で貿易商の父嘉蔵、母やすの3男として生まれ、20歳に上京。東京美術学校西洋画科に入学しました。同期生には小磯 良平(こいそ りょうへい)、牛島 憲之(うしじま のりゆき)、山口 長男(やまぐち たけお)、猪熊 弦一郎(いのくま げんいちろう)、高野 三三男(こうの みさお)がいます。

岡田は1924年1月(東京美術学校在学中)に渡仏しますが、フランスではかなり自由奔放に暮らしていたと伝えられています。半年間アカデミー・ド・ラ・グランド・ショミエールでデッサンを学び、サロン・ドートンヌに『ボートのある海浜風景』が入選したりと功績を残したりもしていましたが、公園やカフェで新聞をかぶりながら睡眠をとっていたという話もあります。

1927年(昭和2)に帰国した岡田は以後、二科展を舞台に活躍しはじめます。
1929年の第16回二科展に『女の部屋』『夏休み』が初入選、戦前は主に二科に出品し、戦後の1947年に第1回会員努力賞を受賞しました。また、1939年に昭和洋画奨励賞を受賞し、同年日本大学芸術科講師に招かれました。

その後1950年48歳にして渡米し、岡田はニューヨークを中心に隆盛を極めていた抽象表現に出会います。当時、ジャクソン・ポロック、ウィレム・デ・クーニング、フランツ・クラインといった人たちが抽象表現主義を繰り広げていました。
岡田は日本人特有の感性を反映させた抽象絵画を創作し、大和絵や料紙装飾のセンスを感じさせる色調やマチエールは、ユーゲニズム(幽玄主義)と呼ばれ、反響を呼びました。

1958年に、岡田はベネチア・ビエンナーレで日本人初のアストーレ・マイエル賞、ユネスコ絵画コンテスト最高賞を獲得します。1960年にフォード財団美術賞を受賞、そして各種の国際展に出品し世界的評価を得るに至りました。

海外の文化や風景に触れ合い続けた岡田謙三

洗練された叙情的な作風で注目されている岡田謙三ですが、生前はさまざまな国を渡り歩いていました。東京美術学校在学中に旅立ったパリをはじめ、中国、アメリカ、多くの国を渡り歩いていました。

1941年の春には、岡田は旧満州国(現・中国東北区)を訪れ、熱河、ハルピン、奉天にて写生をしました。同年12月の個展では、そのときの作品を多く出品しています。描かれたものは、土塀や承徳の街、お寺といった風景が多かったようです。