絹谷 幸二(きぬたに こうじ)

絹谷幸二『旭日雪中富山獄』

日本アフレスコ画の開拓者

絹谷 幸二は、1943年1月24日に奈良県奈良市で生まれた日本の画家です。現代の日本美術を代表する一人であり、2014年に文化功労者に顕彰されています。

美術界のトップランナーとして精力的に作品を発表しており、後進の育成にも尽力して2008年には若手芸術家を顕彰する『絹谷幸二賞』を創設しています。
長野五輪の公式ポスターやパブリックアートなど、さまざまな社会貢献を行ってきました。

絹谷幸二は小学校一年生の頃から油絵を習い始め、奈良県立奈良高等学校を経て、東京芸術大学絵画科油画を卒業しました。卒業制作展『蒼の間隙』で大橋賞を受けています。そのまま同大学の大学院へ進み、壁画科にてアフレスコの研究を行います。

大学院卒業後、1971年にアフレスコ画の本場であるイタリアへ留学し、ヴェネツィアでアフレスコ古典画の技法を研究していました。
『フレスコ画』のことを、本人は必ず『アフレスコ』と〝ア〟をつけていたそうです。
帰国後に安井賞を受賞、そしてアメリカ、ヨーロッパを外遊し作品を発表し続けました。

その後はメキシコ留学などを経て、1993年東京芸術大学教授に就任をして後進の育成にも尽力しています。
2008年、35歳以下の芸術家を顕彰する絹谷幸二賞を毎日新聞社にて創設、2010年東京芸術大学名誉教授に就任しました。
さらに2015年には、第66回日本放送協会 放送文化賞を受賞しています。

自分の生き方を貫く幸二

フレスコ画法をとりいれた絹谷幸二の代表作といえば『アンセルモ氏の肖像』です。
1974年3月の第17回の安井賞で史上最年少受賞という名誉を獲得しています。
幸二の安井賞受賞は【箔(はく)】がついて、売れっ子画家としての地位が約束されたようなものであり、これは画家としての人生に大きな転機となりました。

イタリアに行きフレスコ画を学ぶ前にも、幸二は独立美術協会の独立展で最高賞の『独立賞』を、1966年と1967年の2度も受賞しています。
イタリアに行かず、そのまま日本で活動していれば同協会で上り詰め、安定した生活が待っていたことでしょう。しかし、幸二は「自分の意志に正直に生きたい」と述べ、意志を貫きました。

1998年に開催された長野五輪の公式ポスターでは競技団体から批判もあったようですが、取り合わず、芸術家として信じる自分の意志を貫いたそうです。