金にまつわる歴史の重み!古代から現代まで

金にまつわる歴史の重み!古代から現代まで

現代人を魅了してやまない金。金は、世界各国で人気のある貴金属です。

生活のいたるところに金があります。リング、ブレスレットなどの宝飾品や、バッグ、メガネなどの日用品。
それだけではありません。投資用の地金型金貨やインゴットなど、資産としても重要なものです。
このように、金はさまざまな使い方をされています。

金は現代人にとって必要不可欠なものですが、現代人を魅了しているだけではありません。
古代人をも魅了してきたのが金なのです。

古代文明において、社会を運営するために金は重要な役割を果たしてきました。
古代では、宗教的儀式や王の権力を示すためにたくさんの金の宝飾品が作られてきました。
当時の黄金マスクなどが発掘されますと、大きなニュースにもなります。

また金は、古代から20世紀まで、貨幣としても使われてきました。金貨や大判・小判が有名です。
紙幣が発達してからも、金本位制という金をベースにした経済システムが運用されていました。

中世でも金は特別なものでした。中世ヨーロッパで作られたアンティークには、たくさんの金細工が施されています。

中国には昔から金印がありましたし、日本もゴールドラッシュと呼ばれた時期があります。

金の歴史をひもといていきますと、人類が歩んできた歴史が見えてきます。
人類の文明は、金とともに進歩してきたといっても過言ではありません。

今回は、金の歴史についてご紹介していきます。
宇宙ロマンあふれる謎の古代文明、エジプトのファラオ、大航海時代の金をめぐる争いなど、世界の歴史とともに金の歴史を見ていきましょう。

シュメール文明と金との不思議な関係

古代文明は多くの謎に包まれていますが、そこではすでに金が生活に取り入れられていたようです。
太古の昔まで、歴史を遡ってみましょう。

金と人類との歴史は、紀元前6000年という古い年代にまで遡ります。
かつて、チグリス川とユーフラテス川のあいだに位置していたメソポタミアの地に、シュメール人と呼ばれる種族が住んでいました。

シュメール人は、天文についての知識が非常に高く、神秘に満ちた古代人として知られています。
アヌンナキと呼ばれる神々が、シュメール人のあいだで用いられてきた粘土板に記されています。

シュメール人の天文知識があまりにも高度なことから、宇宙人研究者の間ではアヌンナキは宇宙人であり、シュメール人は宇宙人と交流があったとする説もあるほどです。
そしてアヌンナキが、地球の金を求めてシュメール人のもとへやってきたというのです。

古代ロマンと宇宙ロマンあふれる、シュメール文明。
宇宙人説の真偽はいまだ不明ですが、すでにこの文明において金を用いた装飾品が存在していたことは確実のようです。
こうしたシュメールの金の装飾品は、世界最古の金製品ともいわれています。

トラキアの黄金文明

紀元前5000年から紀元前3000年ごろ、現在のブルガリアにあたる地域に、トラキア人と呼ばれる人々が存在していました。
近辺のペルシャ文明やギリシャ文明と交流しながら、トラキア人は独自の文明を作ってきました。

このトラキア人が作った文明は、「黄金文明」とも呼ばれています
その名前のとおり、トラキア人はさまざまな黄金製品を残しています。

ブルガリアの東部に位置するヴァルナ集団墓地遺跡から、1972年に数キログラムにもおよぶ金製品が出土したことがニュースになりました。

そのなかには、

  • 軍事儀式、宗教儀式に用いられていた「王笏(おうしゃく)」と呼ばれる杖
  • 雄牛を型どった、社会的シンボルとして用いられる「アップリケ」
  • 高度に装飾が施された金の「ネックレス」「イヤリング」「指輪」「胸飾り」「腕輪」「王冠」
  • スフィンクス、鹿、ヤギなどを型どった「リュトン」(儀式などで用いる杯)
  • フィアラ杯(饗宴に用いる皿状の杯)
  • キュリクス杯(取っ手が2つ付いた杯)

といったさまざまな金製品がありました。

さらに、2004年にはトラキア王の黄金の仮面が出土しました。
厚さ3ミリメートル、重量にして672グラムの荘厳なマスクになっています。

この太古の文明において、すでに社会的な身分を表したり、儀式に用いたり、王の権力を示したりと、さまざまな目的で金が用いられていたのです。

トラキアは文字を持たず、戦が好きな文明として知られてきた謎の文明でしたが、非常に高度な金の精錬技術、細工・加工技術まで持っていたということになります。

古代エジプト文明と金

黄金に親しんでいた文明としてよく知られているのが、古代エジプト文明です。
その歴史も古く、紀元前3100年ごろにはすでにエジプトでも金を用いた装飾品が作られていました。
このころはエジプト初期王朝時代にあたります。

謎につつまれたシュメール文明やトラキア文明と違って、古代エジプト文明は数多くの金製品を残しています。
そのなかには、みなさんもご存知のものがたくさんあります。

たとえば、1922年に発掘された「ツタンカーメン王の黄金マスク」はエジプト文明のものです。
(エジプト王朝の王様のことを、「ファラオ」と呼びます。)
この黄金マスクはたいへん古い金製品で、紀元前1300年ごろに作られたと考えられています。

ツタンカーメン王のマスクは、頭から胸まであるとても大きくて豪華な作りになっています。
頭は、「ネメス」と呼ばれる頭巾をかぶった型になっています。
この黄金マスク、なんと300兆円分もの価値があるともいわれています。

ツタンカーメン王が永遠の眠りについた棺にも、金が使われています。
その量、110キログラムといわれています。

なぜエジプトで、黄金の宝飾品がたくさん作られていたのでしょうか?
それには、太陽信仰が関係しています。

エジプトでは、太陽信仰が盛んでした。
金は太陽神であるラーの身体の一部であると考えられていたため、祭祀や呪術などの宗教儀式、王族の埋葬などに用いられてきたのです。
こうして王族や神官のための金の装飾品や、神殿、神像などに用いる金製品が数多く作られました。

紀元前1600年ごろの新王国時代には、金細工の技術が発達して、金細工師が社会的地位を獲得しました。
そして、宗教的儀式のためのさまざまな金の宝飾品が作られるようになりました。

三大黄金マスク

さきほどご紹介した古代エジプト文明には、歴代のファラオがいます。
ツタンカーメン王はそのひとりですが、他にも大きな影響力を持ったファラオが存在していました。

「ツタンカーメン王の黄金マスク」のほかにも、「プスセンネス1世の黄金マスク」「アメンエムオペト王の黄金マスク」が有名です。
これら3つの黄金マスクは、三大黄金マスクとも呼ばれています。

ツタンカーメン王は、紀元前14世紀ごろの第18王朝のファラオです。
それから後の時代、紀元前10世紀ごろは第21王朝になります。このころのファラオが、プスセンネス1世なのです。

ファラオの墓は数々の至宝で飾られていますので、盗掘されてしまっているものがほとんどです。
しかし、プスセンネス1世の墓は運良く盗掘されずに、当時の宝飾品を現存することができました。
この王墓に残されていたのが、プスセンネス1世の黄金マスクなのです。

そして、プスセンネス1世の息子が王に即位しました。この王こそアメンエムオペト王で、彼の黄金マスクも貴重な資料として保管されています。

金のインゴットの始まり

ところで、アニメや映画では金の延べ棒がでてきますよね。
金の延べ棒は、今では純度など厳しい規格を定めた「インゴット」として流通しています。
金のインゴットは、投資家の資産運用や中央銀行の準備金として用いられています。

インゴットは鋳塊という意味があります。つまり、素材そのものを保管するために鋳造した「塊」ということです。
現代のインゴットは、延べ棒というイメージどおりの台形型のものや、名刺のような形のものが存在します。

古代エジプトでは、延べ棒ではなくドーナツ状に型どった塊で保管されていました。
その様子が、「金」を表す象形文字とともに現存する当時の壁画に描かれています。

古代エジプトでも、金そのものが価値を持っていたと考えられるのです。

古代の女性を輝かせる金の首飾り

歴史的な絶世の美女と聞きますと、どんな女性が思い浮かぶでしょうか?
中国では楊貴妃が有名ですが、エジプトではクレオパトラ7世が有名ですよね。

クレオパトラ7世は、ゴージャスな首飾りを身に着けていました。
これは、ウェセクと呼ばれる金などで宝飾された首飾りで、当時は貴婦人が身に着けるものでした。

このウェセクの形を模擬した象形文字があります。この象形文字の意味は、「金」なのです。

金の首飾りが好きなのは、古代人の女性も現代人の女性も同じですね。

漢委奴国王印

中国には「後漢書東夷伝(ごかんじょとういでん)」と呼ばれる、古い資料が現存しています。
この資料は5世紀前半に書かれたとても古いものですが、書かれている事柄はもっと昔の出来事になっています。

そこには紀元57年という大昔のことが書かれています。紀元57年、中国は後漢王朝の時代でした。そのときの初代皇帝は光武帝(こうぶてい)です。
後漢書東夷伝によると、この光武帝が倭(わ)の奴国(なのこく)に印綬(いんじゅ)を授けたというのです。

印綬とは、つまり印鑑です。
これは、漢委奴国王印(かんのわのなのこくおういん)と呼ばれています。
純金製の印鑑で、印文は「漢委奴國王」となっています。

この漢委奴国王印は、1784年に福岡県の志賀島の農民が発掘したといわれています。
この金印は、漢の光武帝から福岡市近辺に当時存在した、奴国の王に授けられたと考えられています。

日本の黄金伝説

日本には、「黄金の国ジパング」という黄金伝説がありますよね。

この黄金伝説のきっかけは、ヴェネツィア共和国の冒険家であるマルコ・ポーロが書いた「東方見聞録」です。
この書物は、1925年に口述で書かれたものといわれています。

中世アラブでは、東方に金がたくさん眠っているという「ワクワク伝説」が広まっていました。
この「ワクワク」は、かつての日本を表す倭国(わこく)の発音に由来するとも考えられています。

このころ日本は鎌倉時代で、たしかに金がよく採掘されていました。
しかし、マルコ・ポーロがいう国は、本当は日本のことではなかったという説もあります。

まだまだ日本の黄金の国伝説は、謎につつまれたままなのです。

中世ヨーロッパの金細工師と銀行

中世に作られたヨーロッパのアンティークには、美しい金の装飾がたくさん施されています。
数々の技工を駆使した、すばらしい装飾ですが、これはもちろん人の手によって作られています。

こうした金の装飾を作っていたのが、金細工師です。金細工師は、中世のヨーロッパで活躍していました。

中世では、金細工師の社会的地位なども変化し、金の用いられ方も次第に変化していきました。
こうした金細工技術の発達とともに、金の加工技術や保管技術も発達していきました。

こうした変化が、じつは銀行業のはじまりとされています。

金細工師は大量の金を扱う仕事ですので、金を保管するための場所を持っていました。
すると、金を保有している人々が、金細工師に金を預けるという風習ができました。

そのときに金細工師は、金の預かり証を発行して金の所有者に渡していました。
これが紙幣としての購買力を持ち始めたのです。

金細工師は、預かった金を誰かに貸して運用益を得ることもできますし、預かり証を発行して貸し出すことさえできるのです。

すでに銀行の仕事の原型が存在し、それは金細工師が作ったといわれているのです。

大航海時代の金をめぐる争い

大航海時代には、世界のトレジャーハンターたちが金を追い求めて海を渡りました。
そこには、金をめぐる戦いの歴史と文明の存亡をめぐる歴史があります。

インカ帝国の滅亡

南アメリカのペルーに位置するアンデス山麓は、マチュピチュ遺跡があることで有名ですよね。
このマチュピチュ遺跡は、滅亡したインカ帝国の遺跡として知られています。

インカ帝国は、現在のペルー、ボリビア、エクアドルを中心に、チリ、アルゼンチン、コロンビアの一部にまたがる大きな帝国でした。
しかし、インカ帝国は1533年に滅亡してしまいました。

このインカ帝国の滅亡には、インカ帝国の黄金伝説が深く関係しています。

インカ帝国では、たくさんの金が採掘されていました。
この噂をスペインの軍人、フランシスコ・ピサロが聞きつけました。
ピサロは騎兵隊を引き連れてインカ帝国に近づき、侵略してしまったのです。

当時のインカ帝国の皇帝の名前は、アタワルパ。
ピサロは、アタワルパに友好的なフリをして近づきます。
しかし、最後にはいいがかりをつけて、火砲でインカ帝国を攻撃しました。

この攻撃でたくさんの人々が亡くなりましたが、アタワルパは生け捕りにされました。
最初から、皇帝の身代金として金を要求するつもりだったのです。
結局、132万6539ペソ(およそ6トン)の金がピサロに渡され、皇帝アタワルパは釈放されずに処刑されてしまいました。

このように、大量の金が大帝国を築き上げもし、また滅亡させもするのです。

幻の国エル・ドラード

このインカ帝国の黄金伝説には続きがあります。

スペイン軍によって滅亡させられてしまったインカ帝国ですが、スペイン軍の魔の手から逃げ切ることができた王族が、別の地で王国を建国したというのです。
その伝説の王国は、エル・ドラードと呼ばれています。

「エル・ドラード」はスペイン語で「黄金の人」という意味があります。
エル・ドラードの存在は黄金郷として、ヨーロッパの探検家・トレジャーハンターたちのあいだで噂になっていました。
アマゾンの奥地に存在するのではないか、とも考えられて世界地図にも描かれていたほどその存在が信じられていました。

しかし、1800年代初頭に、探検家で近代地理学の祖とも呼ばれるアレクサンダー・フォン・フンボルトがその地域を調査しました。
調査の結果、エル・ドラードは存在しないことが判明したのです。

300年ものあいだ信じられ続けてきた黄金郷の伝説がついに、噂話であったということで決着がついたのでした。

金と魔術との関係とは?!

金はサビないだけでなく、酸にも溶けず、いつまでも変わらない輝きを保ち続けることができます。
そんな不思議な金には、魔術との関わりがあります。

最後の魔術師

りんごが木から落ちることから万有引力の原理を発見したという逸話で有名なのが、イギリスの物理学者のアイザック・ニュートンです。

経済学者であるジョン・メイナード・ケインズは、ニュートンのことを「最後の魔術師」と呼んでいました。
なぜケインズがこのように呼んでいたのかというと、じつはニュートンは錬金術に熱中していた最後の物理学者といえる存在だったからです。

錬金術

ニュートンが生きていた西暦1700年ごろは、錬金術と呼ばれる学問がありました。
錬金術を研究している人々のことを、錬金術師と呼びます。

錬金術師は、ふつうのよくある金属から、なんとかして金を作り出す方法はないものか試行錯誤していました。
今では、錬金術で研究されていたような方法で金を作ることは、不可能であることがわかっています。
しかし、当時の錬金術師たちはなんとかして、貴重な金を手軽に手に入れられる方法を確立しようとしていたのです。

錬金術は賢者の石を作ることを、最終的な目標としていました。
賢者の石は、金を作りだすだけでなく、人間を不老不死にするものだと考えられていたのです。

錬金術は、当時のイギリスでも禁止されていました。
金が作られてしまいますと、金の価値が下がってしまい、王家の財産の価値が下がってしまうおそれがあったからです。

こうしたオカルト的秘法を、近代物理学を築いたニュートンが行っていたのは意外ですが、錬金術師たちの研究の成果は、今日の化学の発展に大きく貢献しています。

世界の金貨のはじまり

黄金伝説と魔術の歴史の次は、金貨の歴史を見ていきましょう。

古代メソポタミア文明や古代エジプト文明では穀物・家畜が、中国では絹が通貨になっていました。
これは商品貨幣と呼ばれます。

こうした商品貨幣が発達し、やがて、金、銀、銅などの金属が貨幣となりました。

世界最古の鋳造貨幣の登場は、紀元前670年頃にさかのぼります。
アナトリア半島というトルコ地域には、リディア王国と呼ばれる王国(現トルコ付近)がかつて存在しました。

この王国が発行していたのが、エレクトロン貨という金貨です。
もちろん金貨といっても、現在のような純金ではありません。
バクトーロス川からとれた砂金を使っていますので、銀が数%含まれた自然金を加工し刻印したものです。
世界初の硬貨は、金貨だったのです。

日本の金貨の歴史

日本最古の貨幣は、和同開珎として知られています。
ですが、エレクトロン貨と違い、これは金貨ではありませんでした。

日本の金貨のはじまりは、鎌倉時代になります。

鎌倉時代

鎌倉時代には、金はまだ鋳造貨幣としては使われていませんでした。
砂金のまま、袋や奉書紙、竹筒に入れて持ち歩いて、取引のときに重さをはかって使われていました。

室町時代

室町時代には、室町幕府は貨幣を鋳造しませんでしたが、明の国から貨幣を輸入して流通させていました。
戦国時代になるとさらに南蛮貿易もさかんになり、貨幣の新しい精錬法が伝えられました。
これによって、全国の大名が鉱山開発を進めるようになりましたので、金がたくさん産出されるようになりました。
その結果、金判がたくさん流通するようになったのです。

安土桃山時代

安土桃山時代には、豐臣秀吉が天下を統一しただけでなく、金判をつくって経済の統一を図りました。
重さにして165グラムもの天正大判が鋳造されるようになりました。これは、世界最大の金貨ともいわれています。
大名や公家の間で、この大判を用いた取引が行われるようになりました。

江戸時代

江戸時代には、関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康が、貨幣経済をさらに発展させました。
フィリピンから鉱山技師を招いて、産金精錬の優れた技術を日本に導入しました。
その結果、ゴールド・ラッシュが起きて大量の金が流通しました。

さらに金座・銀座と呼ばれる、金や銀の貨幣を製造する組織を充実させました。
両・分・朱という4進法の金貨の通貨単位が制定され、品位・重量が統一されました。
純度86%、18グラムの取引に使用しやすい慶長小判が、代表的な金貨として流通しました。

慶長小判は一両の価値を持ちます。ほかにもたくさんの一両小判が、これを機に作られました。
宝永小判・元禄小判・正徳小判・享保小判・元文小判・天保小判・文政小判・安政小判・万延小判などが挙げられます。
天保五両判は、五両の価値を持つ小判として作られました。

さらに、小判以外の角形の通貨も存在します。
これらは一両の4分の1で慶長一分金・宝永一分金・元禄一分金・甲州一分金などが存在します。
一両の2分の1の価値を持つ角形通貨は、安政二分金・文政二分金・万延二分金などがあります。
このような日本的な単位で、通貨の種類が決められていました。

明治時代

明治時代には、日本銀行が設置されました。日本銀行は、現在でも中央銀行としての役割を果たしています。
こうした現代的な金融制度は、明治時代に海外のシステムをまねして取り入れたものです。

明治4年という早い段階で、金融システムに関する法律の整備が行われました。
「新貨条例」が発布され、これを機に国内では金本位制が敷かれました。

制度だけではなく、香港が造幣局で用いていた設備も積極的に取り入れました。
この当時大阪に設置された造幣局は、現在でも活躍しています。
現在では硬貨の製造だけでなく、地金の分析試験や品位証明などの事業も行っています。

貨幣単位も両・分・朱という伝統的な単位を廃止し、「円」にしました。
この当時は二十円、五円、十円、一円といった単位の金貨が作られました。
現在の日本円とほとんど変わらないシステムが、この明治にできあがったのです。

制度や通貨単位だけでなく、通貨の形も西洋式に合わせました。
海外の貨幣は基本的には丸いコインの形をしていますので、日本の通貨もそれをまねて小判形ではなくコイン形に統一しました。

大正時代

大正時代になりますと、日本は金本位制を採用しなくなりましたので、不換紙幣が発行されるようになりました。
つまり、実物として価値のある金貨や銀貨などの本位貨幣も発行しなくなりましたし、本位貨幣との交換が保証されている兌換(だかん)紙幣も発行しなくなりました。

この頃から、金以外の金属が信用貨幣の材料に用いられるようになりました。
大正時代以降、1銭銅貨、5銭ニッケル貨、10銭アルミ貨、10銭ニッケル貨、50銭黄銅貨、50銭銀貨がつくられました。
(いまでもお財布にある1円玉、5円玉、10円玉、50円玉、100円玉、500円玉はアルミ、銅、亜鉛、ニッケルなどがメインの材料になっています。)

幕末に起きた通貨問題

さきほどご紹介しましたとおり、江戸時代では金でできた小判が貨幣の役割を果たしていました。
そんな時代の1858年、日本とアメリカは日米修好通商条約を結びました。
このころの日本は安政5年、幕末の時期にあたります。

ペリーが率いる黒船が来航したのが1853年のころですので、日本が海外との交流を広がり始めた時期になります。

この日米修好通商条約で、日本の通貨はハイパーインフレーションを起こしてしまいました。
じつは、この通貨危機に関係しているのが金なのです。

江戸時代は、金や銀を通貨として用いていました。
江戸中期までは、日本は銀安の状態で、金が流入してくる経済構造になっていました。

ところが、日米修好通商条約によって、外国の銀貨と日本の金の小判との交換比率が不平等であったために、日本からどんどん金が流出していくことになりました。
外国商人たちにとっては、日米修好通商条約によって、通貨を日本と交換するだけで儲かるような仕組みになったのです。

これに対して、金が大量に流出しまうことを防ぐため、幕府は万延小判を発行しました。
万延小判は低品位の金を使っています。こうすることで金の海外への流出がくいとめられましたが、そのかわり国内では貨幣価値が低下しました。

低品位の小判が流通することで貨幣価値が下がりますと、物価が上昇します。
金が流出すればするほど、低品位の小判が流通することになります。
こうしてどんどん物価が上昇して、ハイパーインフレーションとも呼べる状態になってしまいました。

物価が高騰するということは、物を買うことができなくなる民衆が増えるということです。
民衆の生活がたいへん苦しくなったことは想像に難くありません。

こうした金をめぐる通貨戦争が、幕末には起こっていたのです。

20世紀以降の金と通貨の関係

かつては世界的に、金が貨幣として用いられてきました。
また、金でできた貨幣のかわりに紙幣が流通していましたが、こうした紙幣は必ず金との交換が保証されていました。

こうした制度は、金本位制と呼ばれています。
金本位制のはじまりは、1816年のイギリスの1ポンド金貨の鋳造であるといわれています。

1919年にアメリカが金本位制をとってから、世界的にも金本位制をとる国が増えました。
しかし、アメリカから発生した1929年の世界大恐慌をきっかけに、再び金本位制を採用する国は減り、1937年にはすべての国が金本位制を中止しました。

しかし、当時まだ通貨と金との交換は、完全に切り離されたわけではありません。
1945年にはブレトン・ウッズ体制という、経済の仕組みが出来上がりました。

これは、金ドル本位制とも呼ばれ、1オンスの金を35USドルと交換できることを保証するという体制です。
世界の中央銀行も協力しながら金プール協定などを結び、金の価格を安定化するように努めました。

しかしアメリカには、金との交換比率にしばられないで貨幣を発行したいという意向もありました。
そして結局、1971年に、ニクソン・ショックと呼ばれる出来事が起こりました。

ニクソン・ショックは、金とドルとの交換比率を固定することを止めるという宣言です。
こうしてブレトン・ウッズ体制が崩壊しました。

とはいえ、まだ各国の中央銀行は、準備金として金を保有しています。
金が世界経済にとって、重要な資産であることには変わりないのです。

まとめ

紀元前6000年から西暦2000年までの金の歴史、いかがでしたでしょうか?
8000年分の歴史を駆け足でタイムスリップしてみました。

8000年もの長い年月を経ても、金は人類にとって変わらない価値ある宝物だということがおわかりになったと思います。

いまでも謎の多い古代文明は、考古学者でなくともロマンを感じさせてくれるものですよね。
古代文明にはすでに金製品が存在していました。
もしかしたら、私たちがまだ知らないもっと古い文明が存在し、そこでも金が使われていたのかもしれません。

大航海時代には、黄金伝説をめぐって文明が滅亡することすらありました。
日本でも、日米修好通商条約によって金が大量に流出してしまったという、負の歴史があります。
金細工師が特別な地位を築き始めたのも、金がそれだけ重宝されてきた証といえるでしょう。

そんな歴史の流れを確認してみますと、金の用いられ方は少しずつ進歩していることに気が付きます。
しかしそれでも、基本的な価値はほとんど変わっていないといってもよいのではないでしょうか。

金を加工する技術、保存する技術、金をめぐる経済のルールは歴史をとおして変化しています。
いまではたくさんのジュエリー、金のインゴット、地金型金貨、金の投資信託商品まで、さまざまなものがあります。
金にまつわる技術や制度が変化したことは、それだけ人類の進歩を表しています。

しかし、宝飾品として、資産として、身分や権力を象徴するものとしての価値。それら自体は変わっていないようです。

太陽信仰のために身に着けることはなくなっても、ご利益のあるパワーストーンのような存在として私たちの生活に欠かせないものです。
トラキア時代のアップリケはもう使われていませんが、黄金の名刺は最近流行りの製品ですね。
また現代では金貨は通貨として使用されることはほとんどありませんが、金のインゴットは安定資産として大切な役割を果たしています。

こうした人類の本質は、8000年が経過しても変わっていないのです。
変わり続けるものと変わらないものが、金の歴史にも人類の歴史にも存在するのです。

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    [ 営業時間 ]
    11:00~19:00(定休日なし)

    [ 住所 ]
    東京都中野区中野5-52-15
    中野ブロードウェイ1F 165号室

  • 松坂屋上野店

    [ 営業時間 ]
    10:00~20:00(元旦は除く)

    [ 住所 ]
    東京都台東区上野3-29-5
    松坂屋上野店 本館 6F

  • 上野店

    [ 営業時間 ]
    11:00~20:00(定休日なし)

    [ 住所 ]
    東京都台東区上野6-8-7 内藤ビル 1F

  • アトレ亀戸店

    [ 営業時間 ]
    10:00~21:00
    最終受付時間 20:30
    (定休日なし)

    [ 住所 ]
    東京都江東区亀戸5-1-1 6F

  • 池袋店

    [ 営業時間 ]
    10:00~21:00
    最終受付時間 20:30
    (定休日なし)

    [ 住所 ]
    東京都豊島区東池袋1-2-7 OKビル

  • 池袋東武ホープセンター店

    [ 営業時間 ]
    10:00~21:00
    最終受付時間 20:30
    (定休日なし)

    [ 住所 ]
    東京都豊島区西池袋1-1-30

  • 北千住マルイ店

    [ 営業時間 ]
    10:30~20:30(定休日なし)

    [ 住所 ]
    東京都足立区千住3-92 北千住マルイ 8F

  • 八王子東急スクエア店

    [ 営業時間 ]
    10:00~21:00
    最終受付時間 20:30
    (定休日なし)

    [ 住所 ]
    東京都八王子市旭町9-1 八王子東急スクエア8F

  • 立川店

    [ 営業時間 ]
    11:00~19:00(定休日なし)

    [ 住所 ]
    東京都立川市曙町2-7-18 MISUMI Bldg. 3F

  • 吉祥寺店

    [ 営業時間 ]
    11:00~19:00(定休日なし)

    [ 住所 ]
    東京都武蔵野市吉祥寺本町1-2-5

  • 府中ル・シーニュ店

    [ 営業時間 ]
    10:00~20:00(定休日なし)

    [ 住所 ]
    東京都府中市宮町1-100 ル・シーニュ 1F

  • 調布パルコ店

    [ 営業時間 ]
    10:00~20:30
    金曜日のみ21:00まで
    (定休日なし)

    [ 住所 ]
    東京都調布市小島町1-38-1 調布パルコ4F

  • 町田東急ツインズ店

    [ 営業時間 ]
    10:00~21:00
    最終受付時間 20:30
    (定休日なし)

    [ 住所 ]
    東京都町田市原町田6-4-1
    町田東急ツインズ イーストB1

  • ミーツ国分寺店

    [ 営業時間 ]
    10:00~21:00
    最終受付時間 20:30
    (定休日なし)

    [ 住所 ]
    東京都国分寺市本町3-1-1
    ミーツ国分寺 3F

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